箱日記

ライブに行った感想を細々とつづっています。

2018年7月14日 アシュラシンドローム 神戸Event-hall RAT

ーー画面の中の人が目の前にいる。
これが最初に思ったことだった。

7月14日。このなんら語呂合わせもない普通の土曜日を、わたしは何日も前から指折り数えて待っていた。

いつだって初めて行くライブは緊張する。
わたしは色んなバンドのライブへ足を運ぶタイプではないため、「あ、いいな」くらいの気持ちではなかなか腰が上がらない。
もっと気楽に行けばいいのに。と思うけれど、これは性格なのだからどうにもならないような気がしている。しかも日本の下の方に住んでいるので基本は遠征となり、やはりそれ相応の準備も必要だ。
だからチケットを買ってライブハウスまで行くとなるには、おそらくかなりの熱量を必要とし、その燃料となる『好き』を溜め込まなければならないのだった。

 

だから緊張するのだ。自分勝手に積み重ねた『好き』は、ともすれば簡単に裏返るものだから。
自分で溜め込んだくせに息苦しくなりながら、「これからも好きでいられますように」と、そんな風に願い、わたしはセッティングされていくステージを眺めていた。

狭くて小さなライブハウスはずいぶんと久しぶりだ。地方に住まうわたしは、地元の小さなライブハウスに通う機会もあまりない。
ただ小さいからこその良さというのももちろんあって、その1つにステージが近いという利点がある。今日のこのサイズなら、きっとどこで観てもよく見えるだろうと思っていた。モッシュに巻き込まれないように注意を払えば、どの位置でも楽しめるだろう…と。
しかし、ご一緒したフォロワーさんが初参戦のわたしを気遣ってくださって、気がつけばわたしは最前列のセンターという位置にいた。

さあどうしよう。落ち着かない。だって近すぎる。
セッティング中の様子を見ているだけで、心臓がドキドキした。これまでに見たことのあるライブ映像が頭の中を通り抜けていく。
おそらくかなりの接近戦は否めない。普段の生活に置き換えてみたとして、誰であってもこそんな距離に来ることはないだろう。

緊張で挙動がおかしくなったわたしを、同じく柵を掴んでいるフォロワーさんが笑う。わたしも笑うが心は乱れっぱなしである。パーソナルスペースが侵されようとしているのだから、平常心を保てという方が無理なのだ。
そうこうしているうちにSEが流れる。ああ、始まってしまう。

 

パルプフィクションの音楽に乗って、見たことのある人たちが続々と出てきた。
ーー見たことがある。そうだ、我が家にあるライブDVDやYouTubeの動画で、今日の日のために予習してきた姿がそこにあるのだ。
わたしの捉えた視覚情報が脳の中で処理されている。それは同じだ。スマホタブレットの映像を受け取る時と変わらない。
しかし今は実体化した生身の存在なのだ。「あ、実在した」と当たり前のことが現実として落ちてくるその感覚は、ライブでいつも感じることだったが、今日はまた違った。

 

1曲目は『男が女を唄うとき』

謡曲のように始まるこの曲は、緩急が楽しい。ワンフレーズ(というのだろうか?)終わりからぐっと盛り上がる。わたしたちの期待感を掴まえて引き上げる、まさに1曲目としてピッタリだと思う。

…と、こんなふうに1曲ずつ書いていきたいというのに、わたしは記憶も語彙もなくしてしまっている。相変わらずわたしはレポートのようなものを書くことができず、今回もつらつらとした感想文だ。

さあステージだが、何はなくともとにかく近いのだ。ボーカリストの足あたりが、長い足が目の前に膝を残してずっとあるのだから、視界良好とは言えないだろう。こんなカメラワークは今まで見た動画のどこにもない。
聴こえてくる歌声はマイクを通したものなのか生声なのか。おそらくどちらもだと思われるが、受け取り手であるわたしの耳は細かいことを察知できるほど肥えていない。
目の前で、色のある声が響く。指先が奏でる音を聴く。後ろにはこの瞬間をめいっぱい楽しもうと集まった人たちの興奮がステージを目指している。

最近の傾向として『物』には価値がなくなってきているそうだ。これだけ何かしらの物に溢れていれば、致し方ないことだ。

もしも今を『物』として考えるならば粗悪品だ。わたしに届けられるものは膝や足がメインの映像と、バランスが整いづらい音なのだから。
しかしそうではない。ライブハウスは、その『整えきれないリアル』のためにあるのだと思う。

お互いが放つ圧が混ざり合い、だからこそ、その日のその瞬間は生きていて、過ぎていく時を掴まえることができぬままなのだ。目で見たもの、耳で聴いたもの、肌で感じた音や光をわたしは、わたしとして記憶する。それが何物にも変えがたいものだからこそ価値がある。
他の人がどのように感じるか。ではないのだ。それはフロアにいるそれぞれの中にあり、ある一定の整えは可能であったとしてもすべてを網羅するのは難しい。

 

わたしは亞一人くんの声が好きだ。ただ適切な表現が見当たらなくて『良い声』と言ってしまうことに己の語彙力のなさを感じている。

1つ思うのは、口がよく動いていると思う。声色や声の出し方に動きがあるところが好きだ。滑舌が特別良いわけではないのに、言葉の音に歯切れがあって聴いていて気持ちいい。
2曲目の『絶対彼氏以上』はそんなところが好きな曲だ。

余談であるがこのMVはカッコよくて大好きなのだが、キャプチャ画像で損をしているのではないかと思っている。もっと適した瞬間があるのではないだろうか。

それとこれはけしからん案件であるが、ライブ中に亞一人くんが舌を出す写真をよく見て、密かにときめいていたが、実際に目にしたらやっぱり破壊力は抜群で危険極まりない。

ただ、はじめはファンサービスのような意味を込めて意識的にやっているのだろうかと思ったのだが、実はそうではないのかもしれない。
これはわたしの単なる推測でしかないが、ステージスイッチと同時に入る【口を動かすモード】においては、歌わない場面でじっと噤んでおくのは物足りなく感じてしまうのではないだろうか。
もちろん個人的には狙ってやってもらっても構わない。夢を届けるお仕事だから。
こちらは潔くときめきを捧げようと思う。

そしてもう1つ好きなところがある。ステージでステップを踏むところは本当に大好きで、MVにチラ映りしているところを思わず繰り返し観てしまうくらいだ。
ドラムの裏打ちリズムが大好きなので、それに合わせて、長い足が軽やかに動くところは見ていて楽しくなる。
何ダンスかと問われれば、なんだろうと思うのだが、とても好きなステージングなので、これからもぜひ軽率に踊ってもらいたいと思っている。

MCはナガさんで、8月3日のワンマンライブの告知だった。
地方をツアーで回ってファイナルが東京の大きめの会場でワンマンライブ。というのは1つの流れとしてあるのだろう。神戸と東京の距離感がわたしにはピンとこないのだが、ステージを観て行こうと思ってくれる人がいればいいなと思った。
口をはさもうとタイミングをうかがっていた亞一人くんがなんとも可愛らしかったので、わたしの心の目で録画しておいた。

俺の頭の上に何が見える?と問われたらこの曲。
『山の男は夢を見た』


山を作って手を振って。こういうライブでの『お約束』ができるというのは、本当に嬉しい瞬間だ。別にやろうと思えば家でもできるのだけど、実際にステージからの声に合わせてやるのはライブの醍醐味だ。
しかしこの歌、正直なところ歌詞の意味が全く分からない。
「山の男」が見る夢が何を意味しているのか、わたしにはどうもピンとこないのだ。山の男は金はなくとも欲もなく、ザイル1本あればいいと、なんとも豪快で人生を謳歌している登場人物のように思えるのに、見る夢は山に勝てないなどネガティブなものなのだ。
何より、タイトルからイメージする『夢』が眠って見る方ではないように思えてしまい、いつも歌詞を聞いてよく分からなくなる。
ただそんな事はどうでもよくて、ライブでのこの曲はとても楽しい。

 

『DxSxTxM』
タイトルが全く覚えられないこの曲。ベースのフレーズから始まるこの曲。大好きだ。ぜひライブで聴きたいと思っていた。
サビよりもそこに至るまでのところが好きだ。とくにBメロ。バックで鳴るギターのカッティングが好き。2番のAメロはドラムも好き。歌詞が詰まってきて早口で歌う亞一人くんの声も気持ちいい。こういう曲を聴くとアシュラ鍵盤加入賛成派のわたしとしては、鍵盤が入ればきっともっと素敵なはず!と思わずにいられない。
とにかく好きな曲なのですごく嬉しくて、始まった瞬間に飛び跳ねてしまった。

何よりも最後のフレーズで8の字ヘドバンができたことが最大の満足だった。あそこは絶対に8の字ヘドバンだと思う。個人的な意見なので異論は認めない。

 

『月はメランコリックに揺れ』


大事なタイトルを噛んで「メランチョリック」になってしまってたのはご愛嬌。
アシュラを薦めるならこちらをぜひ!とばかりにYouTubeにあるMVが非常に良いこの曲はライブの定番だ。
途中、観客が歌う箇所がある。もとい、観客に歌わせる箇所がある。亞一人くんのステージでの良いところはオラオラに煽るところだと思っているので、歌え、とか、もっと来い、とか、行けんのか、のような荒々しい言葉で煽っていただきたい所存。

とにかく、こちらで担当する歌詞は「あーいぇー!」と非常に簡単なのだが、やっぱりみんなで歌うと気持ちいいし、むしろこのど定番へ参加するために、わたしは神戸まで行ったのかもしれない。

公式Twitterにアップされた動画を貼っておく。

こちらを観ていただければ一目瞭然だが、最前列というものは、基本的に埋まっている。手を上げれば演者に当たりそうであり、はたまた真っ直ぐ立っているだけでヒザ蹴りをくらいそうで。これは距離がゼロというよりもむしろマイナスである。
いつもならばわたしの渾身の「あーいえー」は届いただろうか。などとフロアからステージへ問いかけるような文章を書くのだが、もはやそういう段ではない。


ラストは『DarlingDarling』
ずっと前ばかり、ステージばかりを観ていたわたしが、後列の人たちの存在を思い出したのは、ギューっという圧がかかったからだ。
忘れていた。これはモッシュだ。

後ろから人がなだれ込んでくる。ただでさえ背の高い亞一人くんが柵の一番上に立って、フロア全体を見回しながら歌っている。
わたしは天井の低いライブハウスで人の圧を身体に感じながら、昨日まで『画面の中の人』だったその姿を見上げる。

 

アシュラシンドロームの曲の中に「Live kids Everyday」というものがある。今回のライブでは演奏されなかったが、わたしはこの曲がとても好きなのだ。
簡単に言うと「ライブに行くのを楽しみに毎日を頑張ってる人」と「ステージの上にいるスター」の歌だ。
この歌の大サビがとても好きで、一時期ものすごくこの曲を聴いていた。

【さあ、始めよう。最高の1日を。手を伸ばせばすぐそこには俺達のスターが待っている】
【さあ、歌おうぜ。天井ぶち抜くまで。知らないあいつも仲間さ。ここが世界で1番さ】

もしかすると、今まさに今日が最高の1日で、ここが世界で一番の場所なのではないだろうか。
どの場面を切り取るか。わたしたちはその自由を与えられている。

手を伸ばせば届くのだろうか。
触れないように注意を払いながら、必死に伸ばした手は何かを掴んだのだろうか。たしかに見えるものは限られていた。でもこの瞬間はここにしかない貴重なものだ。だから終わってしまった今は、もうどこにもない。楽しい時間はあっという間だ。聴きたかった曲はたくさんある。しかし不思議と短いとは感じなかった。

画面の中の人が、目の前にいた。しかもとてつもなく近い位置にだ。

次は8月3日。渋谷CLUB QUATTRO。ワンマンライブ。次があることが今はただ嬉しい。
(チケットは公式ホームページから予約可能! asura-syndrome.com/?p=3754