箱日記

ライブに行った感想を細々とつづっています。

2018年4月21日 打首獄門同好会 周南ライジングホール

 それは、わたしにとって憧れていた景色であったと思う。

 思うという表現をするのは、明確に憧れという気持ちを抱いていたわけではないからだ。ただ振り返りそのシルエットを眺めることは好きだった。それはライブハウスの左右の壁際を陣取った時に少しだけ見えるステージ袖のように、観客側から演者の景色を覗き見して想像するようなものだ。

 

 

 

 打首獄門同好会のライブ情報のほとんどはTwitterで知る。東京のバンドである彼らの活動拠点はわたしの住まいからは離れており、よってそのほとんどが遠方となるのは致し方ないことだ。しかし聞き慣れない土地の名前を見て、日程を確認して、ほんの少しだけガッカリするのだ。

 そんな中で山口県周南市でのライブが発表されたのは、たしか3月11日の武道館公演まであと少し、といった頃だっただろうか。周南市という少しだけ聞いたことがあるのにあまり馴染まない地名は、調べてみると2003年に周辺のいくつかの市が合併してできた自治体であった。平成の大合併は小学生の社会で習ったであろうわたしの薄い地理の知識を、さらに粉々にしてくれている。

 しかしながら山口県だ。わたしの現在住まう地域から考えて、距離としては以前行った長崎と同等ではないか。そして日程は土曜日。学校は休みであるし、これは親子でライブという夢が早々に叶うのではないかと、東京出張の予定をキャンセルしてこの日のライブのチケットを購入した。打首さんが山口にいる日に、わざわざ東京に行く意味などない。

 こうしてわたしはライブ観戦の予定を手に入れた。この一見なんでもないような事なのだが、驚くくらい安心したことを覚えている。
 わたしは武道館という大きなイベントを終えても、また打首獄門同好会のライブに行くことができる。しかも約1ヶ月後という早い段階でだ。そのことが自分の中でここまで大きな意味を持つとは思っていなかった。
 きっと不安だったのだと思う。少し特別なアニバーサリーライブで膨れ上がったものを抱えたまま、他の人たちの楽しかったツイートを眺めるだけの日々をどのように消化していけば良いのか。わたしはそんなことを不安に感じてしまうほどに小さい人間なのだ。

 身長125センチの息子は130サイズのコウペンちゃんTシャツのジャスト世代である。そして体は少し小ぶりであるがもう小学4年生であり、ライブハウスの未就学児お断りに該当しなくなって久しい。
 しかしライブハウスというものはステージに立つバンドによって、客層も様々であるし、フロアの危険度もそれぞれである。しかし例えば演者がステージを降りてきて余すところなく駆け回るとか、基本的に客同士が殴り合いをするとか、そういったことでもない限り、さすがに最後列の端までもがデンジャーゾーンとなることはないだろう。老若男女様々なファンがいるのか打首獄門同好会のライブの特色でもある。

 我が家は夫がバンドをやっていたということもあって、友人にアマチュアで音楽をやっている人間が多い。よって息子がライブハウスや練習スタジオに行くのは今回が初めてではなかった。
 しかし、アマチュアバンドのイベントは、もっとゆるゆるなもので、人と人がひしめき合う打首さんのライブでの密集度とは比べ物にならない。
 とにかく怪我だけは避けなければならない。ライブ中の怪我は誰も得をしない。わたしは応援しているバンドにそんな負担をかけたくないし、もちろん可愛い息子に怪我をさせたくないし、わたしも痛い思いはしたくない。危険度の高いところは避けて、最後列下手で壁を背負うと決め、耳を守るための耳栓も購入した。

 今回は、道中わたしのペースよりも彼のペースに合わせなければならなかった。わたしが基本的にぼっち参戦をするのは、ライブ当日に誰かのペースに合わせるのがあまり得意ではないことが理由の一つだ。18時オープンのライブに17時30分に行く人と、わたしのように「え、昼には到着っしょ」となる人では行動を共にするのはなかなか難しい。
 そして大抵の場合、昼に着いても明確にやることなどないのである。リハもしなければセッティングもしないわたしがそんなに早く現地に到着したところで、ふらふらとその辺りを散策するだけで、感覚を共有できない人に対して何ひとつ説得力のある目的を伝えることはできないものだ。

 高速バスという腰が痛くなる乗り物に揺られること3時間半。もしや同じライブに行くのでは…? という人たちを数名乗せたバスが徳山駅に到着し、まずは昼食だ。ライブ前の腹ごしらえは非常に大切で、時間がずれると夕食を取れないままオープンとなってしまう。その時はわりと辛い。特に空腹時に聴く打首さんの歌は本当に辛い。
 まず一番にライブハウスの場所を確認しておきたい気持ちを抑えて、ランチへと向かう。気持ちのままに行動すると、非常に効率が悪くなり息子がぐずり始めることは分かっていた。ライブ前にウロウロするのは、単にわたしが置き所がない気持ちを抱えてじっとしていられないだけなので、それに付き合わされる側はたまったもんではないというのは分かっている。

 昼食を終えたわたしたちはホテルに荷物を預け、着替えてからライブハウスに向かう。朝からの移動は序章であり、本編はここからなのだ。ライブの日は1日中、意識はライブの方へ向いている。自分でも不器用だと思うが、わたしは異なるアーティストをひとつのプレイリストで聴けないくらいなのだから、ライブと他の予定と組み合わせるなどそもそも無理な話なのである。

 本日の箱【周南ライジングホール】は徳山駅から歩いてすぐの距離にあり、とても便利な立地であった。新幹線の駅から近いということは、遠征組にも優しいということだ。しかしその条件のわりには年季の入った商店街の中にあり、路地のように狭い道を歩けば昔ながらの店構えが昭和の空気を振りまいている。人に慣れたタイプの野良猫が趣のある軒下に佇み、初めて足を踏み入れたわたしたちをチラリと一瞥して横切っていく。
 ラインナップや価格改定が頻繁にあるせいで、おそらく老舗であるが比較的新しい店構えのタバコ屋を曲がると、派手めのTシャツにハーフパンツ姿でリュックを背負った人たちの姿が見えた。
 ちょうど交代の時間だったのか、タバコ屋の店主がご友人らしき男性と「今日はえらい派手な人がたくさんいる」といった趣旨の会話をしながらどこかへ歩いていったのが印象的だ。この平穏な商店街に、背中に『獄』の文字を背負ったわたしは一体何を引き連れてきたのかと思われても仕方がないだろう。

 やはりライブのお客さんという存在は日常に現れると少し異質なのだ。先日仕事の出張で、キュウソネコカミのライブに向かう方々の集まりに遭遇し、「ああ九段下の駅前に出没した獄一門も、このように見えていたのか」とシミジミ思ったものである。たいていのバンドTシャツは背中にバンド名やロゴといった、今から楽しむ時間を形取ったデザインが施されている。誰かの日常にそれを背負った自分が一瞬佇むことをどこか誇らしく思い、背筋を伸ばす瞬間がわたしは好きだ。

 本日のライブは打首獄門同好会のツアーではなく、ROTTENGRAFFTY(以下ロットン)というバンドのツアーに打首さんたちが対バンとして参加したものだ。
わたしにとってバンドはメジャーかアマチュアのどちらかに知識が寄っているようで、メジャーだと大きな箱でワンマン。そしてアマチュアはそれこそ5~6バンドくらいでライブをするというイメージが強い。しかしどうやら最近は2マンや3マンという形でツアーを回るバンドが多いのだなと感じている。邦ロックやインディーズバンドというジャンルを知ることで、学ぶことは多い。

 ライブハウスの前にある看板を確認することができた。最近はこの看板もバンドのロゴを手書きで再現したものが多く、やはりただの文字情報よりも単純に嬉しい。


 息子を立たせて看板の前で写真を撮る。
 わたしは武道館の時に記念写真に自分が写り込む、という概念を初めて認識した。今までライブハウスの看板は何度も写真に収めたし、出演したバンドの方と写真を撮っていただいたことはある。

 しかしその看板の前で記念写真を撮るということは全く考えたことがないのだ。そのせいで武道館の前でも撮ろうと思わなかった。それが後になってこんなに悔しいのだから、わたしは今日も失敗から学び、日々成長を志している。48枚も連写された写真からその喜びがにじみ出ていたが撮りすぎだ、息子よ。

 さあ、ある程度瞬発力をもってやらなければならないことは終わった。しかしもうどうしたってこの場からは離れられないのだ。わたしはまだオープンもしていないライブハウスの前でダラダラとしているのが本当に大好きだ。
 基本的に暇だが、やる事はたくさんある。
 例えば同じように集まっている人々のTシャツを眺めて、どのバンドのファンがどのくらい来るのだろうかと思いをはせたり、古いデザインのものを身につけている人がいれば密かに尊敬の念を送ったり、また今日の箱のようにビルの中にあるライブハウスの上の方の階でひとつだけ窓が開いているところがあれば、あそこが楽屋なのだろうかと妄想したり。

 リハの音が聴こえてくれば尚良しであるが、今回は確認できていない。これはなんと息子に反対されてしまったのだ。「ネタバレじゃん」とのことだ。「ご褒美じゃん」と反論したいのは山々であったが、ここは初参戦者に譲るべきところかと思い従った。

 店主が交代したタバコ屋のところ、少し離れてライブハウスに集まりし人々を眺めながら、なんでもない時間を過ごしていたわたしに、大事件が起きるのはそれからしばらくのことである。
 はしゃぐ息子を横目にまったりとしていたら、ふと見覚えのある洋服で、見覚えのある髪型の、見覚えのある立ち姿を目視で確認した。確認した後、まずは四度見した。しかし脳が理解を拒否しているのか何回見ても状況を把握してくれない。頭と心が戦っている瞬間である。

 落ち着けわたし。さあ深呼吸をして、ゆっくりよく考えてみよう。

 これが武道館なら間違いなく偽物である。あの日はこの3点が揃っているが本人ではないという現象があらゆる所で確認されていた。
 しかしここは昭和の雰囲気漂う地方の古びた商店街だ。残念ながら偽物は現れない可能性が高い。
 …ということはだ。わたしは自らが導き出した答えに、パニックになった。わたしも息子も獄Tと呼ばれるグッズを身につけている。明らかなる存在として、その距離約数メートル。いやはや困った。ライブ中にはなるべく多くの事を目に焼き付ける気持ちで視線を向けているけれど、いざそうではない空間に現れるとてんでダメだ。こうして文章では雄弁であっても、現実の世界のわたしは小さな存在だ。おそらく思うことが多すぎて、何を切り取るべきなのか判断がつかないのである。

 わたしだってチャンスと勇気があるならば、この溢れるまでの愛を伝えたい。しかしチャンスはあれど勇気がないのだからどうしようもない。「チップを渡すから勇気を分けてくれねえか」(by次元大介)とタバコ屋の店主に言えばよかったのか。まさか山口のレトロな商店街でそのようなハードボイルドな悩みを抱えるとは予測していなかった。

 「武道館行きました!」「今日のライブ楽しみです」たったこれだけの二言が出てこず、「あ…あ…」とカオナシのようになったわたしが気の毒で気の毒で、こうして文章を綴っているわたしは「よしよし」と頭をなでて慰めたい気持ちでいっぱいだ。

 何やらスマホを片手に忙しそうだ、きっと機材とか準備の何かで外に出てきたのだろう。忙しそうな時に、チラチラと見てしまって申し訳なかったな。などと思っていたわたしが趣のある商店街に消えていった会長の動向について知るのはもう少し先のことである。

 

うん、食べるよねーご飯。

 そんなミラクルに恐れおののきながらも、時間は刻々と過ぎてゆく。アルコールが足りないのではと少し奮発してプレミアムモルツなる贅沢品で喉を潤す。しかしちっとも酔えない、味もわからない。

 お世話になっているフォロワーさんと久々の再会を果たし、お話ししているうちに入場整理が始まった。整理券番を改めて見る。今日は一番後ろと決めているので番号はあまり関係ない。それでもやっぱりなんだか落ち着かない。獄TとロットンT、2つのバンドのファンがチケットを片手に列をなす。
 500人近くが並んだ姿はちょっとした事件だ。ライブとは無関係の通行人が、なんの騒ぎだとこちらを噂しながら横にある『キャバレー桃太郎』に吸い込まれていく。
 このなんともいえない温度差のある空気を感じるのが好きだ。わたしたちの日常は、今とても重要な局面を迎えているのに、その熱狂は限られた場所に照準を合わせて集った者達だけの限定的な楽しみなのである。夜は誰にでも平等に訪れる。だからこそこの夜はとても贅沢なのだとわたしは思う。

 周南ライジングホールは入り口から階段を上がった3階にある。そこまでの道すがら、階段の壁にはたくさんのバンドのサインが書かれていて、これはとても良いと思った。わたしが知るライブハウスは、こうしたサインは楽屋の壁に書かれていることが多いので、アーティストの誰かが写真に撮ってSNSなどにアップしてくれなければ見る機会はあまりない。


 3階まで階段なんて普段の生活ではなるべく避けてしまうところだが、あっという間に到着することが出来た。
 クロークに荷物を預け、ドリンク代を手渡す。いつものライブだ。ライブハウスだ。そんなことを思いながら物販とドリンクコーナーがある場所を通り抜けてフロアへと向かう。
 最前はしっかりと陣取られているがそこから後ろはまだ余裕がある。下手を目指して進むと、ちょうど良い感じの空きスペースがあり、息子とそこを陣取った。
 息子と新生姜ペンライトを振る約束をしていたことを思い出し、彼を残して打首さんの物販へと向かった。

 フロアに立ってみて最初に思ったのは「狭い」だった。後から考えればキャパ500はある程度の箱に違いないが、わたしの中にある1番直近でのライブの記憶が武道館なのだから仕方がない。気を抜くとステージはすぐ近くにある。手を伸ばせば届きそうな距離。ステージの上で作られた空気がそのままダイレクトに伝わる、あの距離だ。

 「近いね」と息子に声をかける。彼がわたしの腕時計を見て「押すかな?」と言った。覚えたての言葉を使いたくなる気持ちはとてもよく分かる。

 ステージ上手後方には今日のステージにちょうど良い大きさのスクリーン。そして下手に設置されたモニタ。あの日武道館で観たままのステージがコンパクトに大きさだけを変えてそこにある。
 スタートまでのわずかな時間。感慨深さを感じていたわたしの前に突然知らない人が現れた。やっと見つけた、とその男性はわたしに向かってこう言ったのである。

「子どもさんが危ないかもしれないので2階席に行かれませんか?」

 え? 全く想像していなかった展開に、わたしはとても驚いた。この周南ライジングホールは2階席があるというのは公式サイトを見て知っていたが、今日は1階スタンディングのみであったはずだ。

 これはもちろん特例で、今後もそのような対応があるというわけではないだろう。ライブハウスと主催者、そして出演者。そういった関係者の方々が安全に本日のライブを執り行うために最大限譲歩してくれた優しい対応なのである。
 ここにあえて書くが、こちら側からそうした対応を望むなどという愚かしい行為は絶対にしてはならない。リスクを最大限抑える方法を模索し、決断してくれた運営側の方々には本当に感謝しかないし、ありがたいことだと思っている。本当に本当にありがとうございます。

 しかし突然すぎる申し出にそんな対応を受け入れて良いのだろうかと悩むわたしを横に、息子はとても喜んで、結果わたしは階段を登り2階席へと移動した。

 2階席の上手側にはすでにもう他の家族の姿があった。申し訳なく下手側の席に所作なさげに座ったわたしたちに、関係者が後数名来られるので詰めて座って欲しいとスタッフから声がかかる。席数はわずか10数席ほどしかない。慌てて奥に進むとなんということだろう、どセンターの席に腰を落ち着けることとなってしまった。

 なんだこの景色は。
 目の前に広がるステージはまるでライブDVDさながらの近さでクリアにひらけている。

 わたしがいるこの席は、2階席に対バンを観に来るバンドマンが観る景色だ。わたしがいつもライブ中にフロアからそっと振り返り、柵に寄りかかりながらステージを観るそのシルエットを確認して、微笑ましくて笑顔になってしまうまさにその場所に座っている。
 怖い、怖くてたまらない。スタンド席があるホールライブの距離ならばここまでの居心地の悪さは感じなかっただろう。だってここはわたしが知らないライブハウスだ。
 こんなところにいてもいいのだろうか。申し訳なさと不安が募る。

 しかしわたしの動揺などどこに届くはずもなくライブは始まる。Junkoさんの香水の匂いを感じることがないまま振りまくスタッフの姿だけがよく見える。SEが流れる。ようやくタイトルを知ったバックドロップシンデレラの『池袋のマニア化を防がNight』。気持ちが追いつかないままライブは始まりを迎えた。
 メンバーが現れおもむろに楽器を手にして音を出す。爆音と歓声が競い合うようにうねり始める。

 武道館から1ヶ月と少し、わたしの記憶の中にある打首獄門同好会のライブが更新された瞬間であった。あの日約束したとおり、わたしはライブハウスでまた会うことが出来たのだ。思い出した音が空気とともに、わたしの中を翔け上がる。大きなステージと小さなステージ。そのどちらもが打首獄門同好会によって今、繋がれた。

 山口に来るのは2回目だ、と大澤会長が言った。しかも前回はフェスだったので、山口のライブハウスで演るのは初であると。地方に来れば地方のMC。遠征でライブを観る楽しみの1つだ。
 山口は魚が美味しい、その一言で打首さん目当ての観客が湧いた。魚の歌、といえば『島国DNA』。なんの説明もなく投げ込まれるマグロに、打首獄門同好会の情報を何となく調べただけのロットンのファンはさぞ驚いたことだろう。わたしにとっては見覚えしかないマグロがフロアを悠々と泳いでいる。それを見下ろしながら楽しそうな光景を羨ましく思う。「ふく(河豚)を食べたい」と言う大澤会長の願いは叶えられて欲しいと思ったが、この時間に食べていないのならもう無理かも知れない。

 魚だけではない、肉だって。2曲めは『ニクタベイコウ 』
 この曲で印象的だったのは、フロアが左右に分かれるはずのタイミングでウォールオブデス(以下WOD)が起こらなかったことだ。武道館前に打首さんが出演した【バズリズム】でこの曲が演奏された時、テレビなのにもかかわらずセンターからぱっくりと割れた時は驚いたものだ。わたしはあの時期の怒涛のテレビ出演の中で、この番組が1番好きで未だに録画を何度も観ている。歌番組の観覧客が、ダイブやWODをするなんてあまりないのではないだろうか。だから世の中のライブハウスやフェスに縁遠い人たちは、このような激しい空間が存在することなど知る由もないのだ。わたしにはダイブもWODもサークルモッシュも、限られた場所で暗黙の了解とルールに則って支えられているように思う。

 改めて今日はロットンのツアーなのだということを実感した瞬間であった。アウェイとまではいかないが、メインではない打首さんのライブを観るのは初めてのことだ。

 次の曲は『47』
 武道館で初披露され、あの春盤に収録されている新曲だ。やはり地方ツアーで演奏されるとグッとくる。ライブ中のどのタイミングだったか忘れてしまったが、大澤会長が自分たちのライブに初めて来た人、と観客に尋ねていた。手を挙げた人が全てロットンのファンだからとは限らないと思う。山口に来るのが2回目、ましてや前回はフェスということは、満を持してライブハウスに打首獄門同好会を観に来た人もきっといるだろうと、わたしは思った。
 「そして沖縄県」のJunkoさんが本当に可愛い。嬉しそうな表情がステージの照明を受けてラキラしていた。

 4年生になって地図を習い始めたばかりの息子は、この曲が聴きたいと言っていた。演ってくれるといいねえ、バスの中での会話が思い出される。2人で目を合わせてそっと笑った。

 この辺りは焼き鳥屋が多いとTwitterで情報を得た、と会長が言った言葉を聞いて、今度はわたしが喜ぶ番であった。ステージを観ていた顔をぐるりと回して息子を見る。わたしの喜びようを見て、彼は少し驚いたような顔をしながらも、やったねというポーズで応えてくれた。ずっとぼっち参戦だったわたしの横に今日は良き理解者がいる。それはとても心強いことなのだ。わたしが大好きな『ヤキトリズム』は今日も「せせりコール」から始まった。
 見たかったBメロのギターの運指もしっかり見ることができ、もうそれだけで感無量だ。
 この曲は武道館でも聴いたし、その前に福岡のライブハウスでも聴いたお気に入りの曲なのだけど、どうも小さい箱の時はイントロのベースだけになるところのあたりから、ドラムとギターが入ってくる時にタイミングがバラけるような気がしている。わたしが拍を取れてないだけなのだと思うのだけど、大きい会場の時は気にならないので、うまく言葉にできない自分の音楽センスのなさが哀しい。

 「せせりコール」と「つくねコール」はやっぱり武道館を思い出してしまった。後日Twitterで、ロットンのファンの方だと思うが「ささみコール」をしたというようなことを書かれていたのを見かけた。どちらも焼き鳥のお馴染み部位の名称である。わたしは「せせり」と「つくね」がなぜ「ささみ」ではなかったのかの理由などを考えてみたけれど、ここに記すと長くなりそうなので割愛する。

 そして本日も結果的にきのこ派ゾーンに身を置くことになった、いつもミラクルが起こる『きのこたけのこ戦争』。
 わたしは純然たるきのこ派なのだが、ライブハウスでは下手側に陣取ってしまうので、そこだけがいつも気がかりなのだ。しかし前回長崎と福岡のライブの時は、対バンであるヒステリックパニックがMCできのこ派たけのこ派を普段の打首さんとは逆に伝えてしまい、その発言を会長が引き受けた形での戦いとなった。正にわたしのきのこ派としての純潔が守られた瞬間であった。
(ちなみに武道館ではA3ブロックにいたので、全体的にきのこに所属していたのだということにしている)
 今度は会長の指示のもと、フロアが左右に大きく割れる。上から眺めるその様子はわたしにとって初めて目にする類のものだ。興奮が形となって現れ、合図とともに人の波が中央でぶつかり合う。
 わたしは普段、ダイブもモッシュWODも積極的に参加する場所にいるわけではない。楽しみ方は人それぞれ、多くはフロアの片隅でピョコピョコと跳ねながらヘドバンしたり歌ったり叫んだりしてライブを楽しんでいる。

 初めてライブハウスに足を踏み入れた18歳の時から、これまでたくさんのライブを観た。その多くはプロではなくアマチュアのものだ。
 ステージの上は知り合いばかり。わたしがセトリのネタバレを全く気にしないのは、練習スタジオで課題曲を何度も聴いてしまっているライブにばかり行っていたからに違いないだろう。
 それでもわたしはスタッフでもなければメンバーでもない。いつだってお客さんだった。ドリンク代の500円をポケットに忍ばせて、購入したチケットとともに渡してライブハウスに入る。何バンドも出演するライブではお目当ての出番が来れば最前の柵を掴んだ。後ろがガラ空きのライブは少し背中が寂しい。それでもステージの上から届く音が大好きだった。

 曲の合間のドリンクタイムにふと思い出してフロアからそっと振り返り2階席を見ると、そこにはその日出演する他のバンドのメンバーが柵に寄りかかりながらステージを観ている。その独特なシルエットは見守っているようでもあり、どこか見定めているようでもある。観客が笑うタイミングで爆笑している姿など好感しか持てない。果たしてそこは一体どんな景色なんだろう。彼らは今、何を考えているのだろうと思いをはせたものだ。

 フロアからの景色は人の頭に遮られてステージがよく見えない。人の肩と頭の間にできる隙間を探して左右に微調整を繰り返しながら、色のある照明に照らされたその姿を目に焼き付ける。あの乱雑な視界こそがライブだ。グッと押されて人の手がすぐ近くで高く上がる。コール&レスポンスの声が身体全体に響き渡るあの空間がわたしの居場所だ。足を動かせばその渦の中に走り出せる自由が与えられていることが、これほどまでに価値があるのだと、高い位置からフロアを眺めることで知ることができた。それだけでこの経験はとても貴重な瞬間であった。

 今回は本当にご好意で2階席に上げてもらった。それには心の底から感謝しかない。
 しかし目の前に誰もいないその光景は、本当はわたしなんかのためにあるものではないのだ。

 あす香さんのドラムがあるフレーズを刻み始めた時点で、息子はおもむろにそれを取り出した。おそらく会場の誰よりも早く準備が整っているだろう。わざわざ物販で借りてきた「新生姜ペンライト」はようやく活躍の時がきたのだ。あす香さんを残し、一度引っ込んだ他メンバーが新生姜ヘッドを手に戻ってきた。『New Gingeration』だ。
 後から会長がツイートしていたが、たしかにそのピンクの物体を見たフロアが少しざわついていたように思う。というよりも、打首さんのステージならばあのピンクのヘッドを見た瞬間に歓声があがるはずだが、その声よりも戸惑いの方が大きかったのだろう。

 新生姜ヘッドは、その風貌をすっかり受け入れてしまうほどに打首ファンにとってはポピュラーな一品である。しかも打首さん側からの発信だけでなく、本家本元の岩下社長からも毎日これでもかというほどに投下されている。わたしが見慣れてしまっていても致し方ないことだ。
 だがそうではない人たちにとっては、驚くのも無理はない。

 いよいよ様子がおかしいことになってきたと思っているでしょう、と大澤会長が言う。わたしはこの言い回しが好きだ。変わったものや不思議なものを表す言葉の中で、卑下もしなければ優越感も感じない、それでいてどこか誇らしげに聞こえるとてもキュートな表現だと思っている。

 この曲は打首さんのライブでは定番曲だが、MVがないのだ。ということは予習ができないということなのである。米やうまい棒、肉あたりか…と当たりをつけて真面目に予習をしてきたとしても、見逃してしまう落とし穴だ。新生姜ペンライトの使いどころが分からず、誰も手にしていなくても仕方がない。
 そしてもう1つ、わたしが住んでいる地域もだが、栃木県から離れたこの地域では岩下の新生姜自体がまだまだ知られていない。わたしも普段から普及活動に勤しんでいるが、やはり打首さんがこうしてツアーを回ってこの曲を演奏するのが、1番波及効果が高いように思う。

 「ぼくが新生姜ペンライト振ってたの見えたかな?」と心配そうにしていた息子よ、絶対に見えていたと思うから安心しなさい。

 美味しいプレゼントの時間です。
 お約束のセリフをお約束ではない場所で言うのはどんな気持ちだろう。うまい棒回せのBGMとともにおもむろに取り出される袋の中はパンパンだ。わたしは、今日は後ろで観るからもらえないかもしれない、とわざわざ自宅から持ってきたうまい棒を取り出した。ちなみにサラミ味とシュガーラスク味だ。小学生がいる家には思ったより高い確率でうまい棒の在庫があるものだ。

 うまい棒配布タイムは、これまたお約束のビジネスの話となる。あんな紹介をされたら、ライブが終わってからちょっと物販を覗いてみようかな、と思ってしまうだろう。正直、対バンで初めて見たバンドの物販に並ぶのはかなりハードルが高い。そのあたりをうまい棒を配布するという繋ぎが発生する時間と抱き合わせて行うところ、商売上手であると同時に進行上手だなと思う。無理がなく、無駄がない。そして先にステージからうまい棒を配るということで、ギブ&テイクが成立していることから、いやらしさも感じさせないのだから全く良いことずくめではないか。

 『デリシャスティック』はまたイントロからカッコいい曲だ。面白いからの急激にカッコいい。でもよく聴いてみると歌詞の様子はおかしい。このこちらを振り回してくるギャップにフラフラとやられてしまう。わたしは残念ながら打首さんの入り口はライブではないのだが、お目当バンドの対バンという出会いだったとしても、大好きになっていた自信がある。

 たとえばもっと昔、少し空きが目立つライブハウスの段差に腰掛けて観ていたとしても、2曲めのイントロあたりで前列に走っていっただろうなと思う。もちろん今だからこそでしょうと言われてしまえば返す言葉もないのだけれど、そう思うのだ。

 今日の周南では余ったうまい棒がステージに戻ってきた。戻ってきた! とメンバーは驚いていたが、普段はどうなっているのだろう。わたしはいつも手にしたうまい棒が何味かを確認することに必死でよく覚えていない。

 美味しいおやつの後には、歯を磨きましょう…と良くできた流れだ。この曲は音源では会長やその他もろもろのお口の恋人…もとい主治医であるDr.COYASS氏(以下コヤス氏)がゲストボーカルとして参加している。
 そしてワンマンライブで演奏されるときは、MVやCD音源同様、ゲストとしてコヤス氏がマイクを握るので、当然ライブDVDにおいても多くを占めるラップ部分はコヤス氏が担当するのだ。
 しかしコヤス氏にはラッパーとしての活動と、患者を治療するという歯科医業があるため、地方のライブではそのパートも大澤会長が担当する。
音源化されているがゲストボーカルなのか、メインメンバーで非音源化のライブのみなのか、どちらがレアなのか。わたしは後者ではないかと思う。
 初めてライブで聴いた時、「あ、会長が歌うんだ」と驚いたものだ。音源では間違いなくラップパートなのだが、会長が歌うとラップではないのに曲そのものに違和感がない。この曲の歌詞は大澤会長とコヤス氏の両名になっているが、やはり主軸は会長が作ったのではないだろうか。
 打首獄門同好会の歌詞のリズムや言葉の選別。その多くは大澤会長の内なるものにゆだねられている。カバー曲である『1/6夢旅人2002』で仄かに覚える違和感がそれを教えてくれる。

 そもそも打首さんたちはVJシステムなるものを採用している事により、ライブ写真などでは凝った打ち込みサウンドを提供してくれそうな雰囲気を醸し出しているようにも見えるが、基本的にはメンバーが担当する楽器で出せる音のみである。
 硬派だ。硬派なのである。歌の部分もそうなのだが、3ピースバンドの限界値を超えていってしまいそうに感ずることがある。

 3ピースバンドであることや、男性1の女性が2というメンバー構成、その特色を余すところなく活かしている印象を受けるが、曲やライブの構成は隙のなさがサディスティックだなとも思う。わたしもあまり詳しくないのだが、複数人がボーカルを取る場合はパート分けされているのがほとんどだ。メインボーカルが入れ替わっていくというのだろうか。カラオケの歌詞の前に「◆や❤」が出てくるのをイメージすると分かりやすいように思うが、打首さんの場合はメインの歌メロがまずあって、歌う人はそれを表現するのに用いられる楽器のようにメインパートとコーラスパートが入れ替わる。
 だから歌い上げるはずのフレーズの最後であっても、会長からあす香さんへメインの音がチェンジするということが多くある。

 わたしは音楽というものに詳しいわけではないので、正しいかどうかなどわからない。スケールで捉えられないから感じることで、精通している人からすれば何を言ってるんだと笑われてしまうのかも知れないし、今更なことを書いていているのかも知れないが、ほとんどの受け手はわたしのような一般人であるのだから、これは大発見だ! とテンションを上げてしまうわたしの気持ちも尊重したいところである。

 とにかくこの手法でボーカルが入れ替わっていくのはおそらく負担が大きい。コーラスだったりメインだったり、くるくると入れ替わりながらも、さらには目の前の演奏においても【手を抜けない】のだ。
 打首獄門同好会のライブは楽曲演奏において、それはそれは盛りだくさんだ。3人の名前の後ろに記された(Gt/Vo)(Ba/Vo)(Dr/Vo)といった表記を目にするたびに、そのこだわりに思いをはせる。であるにもかかわらず新生姜ヘッドをかぶったり、お遍路の衣装を着たり、うまい棒を配ったり、様々な演出で観客を飽きさせず楽しませようとする気概にあふれている。それは常に100%の力を用いなければグダグダになってしまう危険と背中合わせということに他ならない。
 大澤会長が「手を抜くという概念が存在しない」と言い切ってしまうその後ろ側にある、ライブバンドとしての積み重ねが、わたしが愛してやまない打首獄門同好会の核なのである。

 いろんな食べ物の歌を歌ってきたけれど…この枕詞はいつも主食につながっていくことをわたしは知っている。ということはついにラストなのではないか。相変わらず曲数を数える余裕もなく、気がつけば終わりがわたしのすぐ近くでこちらを見ている。

 もう終わってしまう。…終わる?

 このままで良いのかとわたしはわたしに問う。始まってからずっとわたしは2階席の椅子に座っていた。ステージが近い。視界がひらけている。目の前にあるのはこの上ないほどに貴重で素晴らしい景色だ。とにかくよく見えるのだ。そして間違いなくそれは一方的なものではないのだということも頭のどこかで感じている。
 周りを見回す。みな座っている。2階席の柵には「よりかからないで」と注意書きがある。わたしの横にいる家族は打首さんのファンではないのか。なぜ誰も立たない。
 わたしは始まってからずっと、下半身を誰かに拘束されているかのような違和感を抱えたままで過ごしていた。立ち上がれないライブは、金縛りにあっているかのようだったし、もはやドラム缶に詰めたコンクリートに腰から下が沈み込んでいるかのようでもあった。
 ステージに立つ人は下を向かぬよう遠くを見るものだ。小学生の頃、体育館で発表をする時に言われたことを思い出してしまう。「向こうの時計(もしくは何らかの目印)を見ましょうね」と。わたしはこのライブ中ずっと、大澤会長にとっての時計の位置にいる。

 しかしもうラストなのだ。わたしはこの曲が大好きだ。これはもう手を挙げて叫ばねばならない。そうでなければせっかく来た意味がない。『日本の米は世界一』と。

 このまま終わることと、たとえ1人であったとしても立ち上がっていつものように楽しむこと。そんなの天秤にかけるまでもなく後者だ。
 打首獄門同好会のワンマンライブにはファミリー席というものがある。先日の武道館のようにスタンドがあるならば、見えやすい位置のスタンド席。わたしもチケット購入の際に迷ったものだが、今回のことではっきりと確信した。座って観るという選択は、わたしのライブの楽しみ方ではない。

 わたしは覚悟を決めた。立ち上がり左手を挙げる。人差し指を立てる。そして叫ぶ。大澤会長が新潟で美味しいお米を食べたことにより出来た曲。その瞬間は10獄放送局というインターネット番組の中に一部始終残っている。テレビでその話が出るたびに「ああ、あの時ね」と不思議な優越感をつれてくる。
 日本の米は美味しい。ただそれだけのことをひたすらに連ねるその曲は、打首獄門同好会の代表曲である。様々な食材について歌ったその〆は主食である米が飾るのだ。立ち上がったわたしは大きな声で叫ぶ。日本の米は世界一だと。ああなんて、なんて楽しいのだろう。

 ダイバーたちがコロコロと転がって、ステージとのわずかな隙間で待ち構えるスタッフに助けられている。その様子を見降ろしながら誰も怪我をすることなく楽しいだけの時間に幕が下ろされた。

 転換の間にわたしは隣の息子に問う。「打首さんのライブ、どうだった?」
車の中で、夕食の時間に、朝の目覚まし、様々な生活に密着していた打首獄門同好会の音楽を全身で受け止めたこの時間が、一体彼の中に何を残してくれたのだろう。
 「ぼく、泣きそうになったよ」楽しかったという言葉よりも前にそういった息子の感性をわたしはとても誇らしく思う。
 メインのロットンは全国47都道府県全てでライブを行い、武道館というファイナルを目指している。その大切なひとつを対バンとしてどのように盛り上げていくべきか。アウェイとまではいわないが決してメインではないそのステージは初めて観たであろう人たちでも充分に楽しめるものであったと思う。その楽しさしかないライブに彼は何を重ねて過ごしたのだろう。
 息子が純粋にお客さんとして観た初めてのライブは、打首獄門同好会のステージであったこと。それはこの先日々成長していく彼がどんな音楽を好んで聴くようになったとしても、覆らない事実として刻まれた。いつかどんなタイミングで今日の日を思い出すのかは、わたしには分からない。それでも彼がこの記憶をそっと取り出す日が来ることを願ってやまないのである。記憶を紐解くカギとしてこれからも、彼の中にひとつの居場所として今日のライブが残されていく事をわたしは嬉しく思った。

 終焉後、わたしはライブハウスの前にいた。商店街の片隅には興奮を抑えきれない人たちが汗だくのまま先ほどまでの時間を心に留めて語り合っている。季節はいつの間にかひとつ先に進み、過ごしやすい夜としてわたしたちの前に訪れる。
 わたしのあずかり知らぬところで美味しいお酒を楽しんだ人たちが、興味深そうにこちらを見ている。
 「なんの集まりですか?」赤ら顔の若者に話しかけられる。「ライブが終わったところなんです」と答えるわたしはまだ日常に戻りきっていない。
 誰のライブかと問われるので「打首獄門同好会」と伝えるが、その固有名詞は初めて聞く人の耳にはすんなりと落ちてはくれない。

 個人がそれぞれ好きなものを選びとれる現代において、こうしたすれ違いもまたいろんなところで起こるものなのだ。わたしにとって特別な今日という日に起こった先ほどまでの出来事は、残念ながらこのわずかな縁と時間では伝えきれない。

 少しだけならと、終了後にわたしたちの前に姿を現してくれたメンバーに、ありがとうございました。この一言を伝えるだけで精いっぱいだった。思うところが多すぎて、わたしはいつも言葉が出てこない。

 武道館のステージと今日のステージ。大きさも時間も演出も違う2つのライブはわたしの中で同じカテゴリーに収められ、繋がれている。地道に一つ一つのライブと真剣に向かい合い、武道館という大きな舞台で1つの区切りとなった。それはきっと音楽を生業とする者たちにとっても夢のある話だ。
 しかしその夢は決して切り取られることなくこれからも連なっていくのだろう。もしかすると本人たちは立ち止まることを良しとしないかも知れない。頭の中に浮かぶ正解のない問いをアウトプットしながら、思考をぐるぐると回し続けている会長のツイートを眺めながら、わたしはそっと「いいね」をクリックする。いつか導き出した答えを、音にのせてステージからフロアに向かって投げかけてくれる日を心待ちにしながら。

 商店街の向こうへと消えていく後ろ姿。小さくなっていく3人の背中をそっと見送った。名残惜しさを抱えながらも踵を返す。灯りが少なくなったアーケードを歩きながら、今日を背負って歩き出す。流れゆく時間はいつも余韻だけを残してその瞬間から思い出に変わっていく。

 まだ新しい記憶をたどって息子と2人、ホテルまでの道すがらセットリストの歌を口ずさめば、どの曲を選んでもお腹が空いてきた。コンビニを目指すわたしたちに、駅前にある「ホテル青木」の看板が存在感を訴えかけてくる。
 今度はワンマンライブであいとくんが吊るされるのを見たいと、息子が仄かな願いを口にするのはまた翌日の話。

 少しずつ顔を出し始める日常と手を繋いで、わたしは息子と非日常の景色を歩いた。