箱日記

ライブに行った感想を細々とつづっています。

2018年8月3日 アシュラシンドローム ワンマンライブ 渋谷CLUB QUATTRO

ステージの後ろからこちらに向けて照らされる光。そこに立つ姿がシルエットになる瞬間が好きだ。
情報が少なくなればなるほど、届けられるものがシンプルになる。

 

 

 

音、光、熱。オープン前のライブハウスはすべてを閉じ込めて沈黙を守っている。
わたしはといえば、前日…いや数日前からソワソワと落ち着かなかった。

来週のわたしにメモを残して仕事を定時に上がってから、旅支度をする間も不安と期待にユラユラと翻弄されっぱなしであった。
期待はもちろんワンマンライブというバンドにとって大きなイベントに、どんな素晴らしいものを魅せてくれるのだろうというものだ。
ただチケットの売れ行きが芳しくないらしい、というなんとなく察してしまう情報を見聞きする度にそのことに対する不安は拭えなかった。程度が分からないこともあり、果たしてライブにどんな影響があるのかわたしには全く予測できなかったからだ。

朝6時に最寄り駅で電車に飛び乗った。獄ヘッドフォンからはもちろんアシュラシンドロームの曲が流れている。
どの曲が聴けるのだろう。聴きたい曲はたくさんある。最近の音源はほとんど持っているけれど、きっとわたしの知らないものだってあるはずだ。

勝負のワンマンライブでは、レア曲として普段はあまり演奏することがなくなった昔の曲を演るのがある意味スタンダードだ。そんな時、わたしのような新参者は戻らない時を羨みながら、彼らが積み重ねてきた時間に想いをはせるしかない。

今日のライブは平日ということもあり、18時30分オープン19時30分スタートだった。
ライブの日はどんなに遠出しても、頭の中がとっ散らかるので、ライブ以外の予定を入れられないのだけど、今日は1つだけやらなければならないことが決まっていた。
赤坂見附というなんともハイソなビジネス街へ青ばん弁当を買いに行くという大事なイベントがあるのだ。

思えば打首獄門同好会の武道館の翌日、飲み会の席でお世話になったフォロワーさんと一緒に迷いながら買いに行ってからまだ半年も経っていない。
その時はアシュラのことも青ばんのこともなんにも知らなくて、弁当屋? バイト先? なんて頭の上にはてなマークを盛大に飛ばしていたわたしが、早朝から飛行機に乗り単独でその場所を聖地として目指すのだから人生とはどこで何が起こるのかわからないものである。
あの日から我が家の冷蔵庫には岩下の新生姜と青ばんが常備されている。
豚バラで巻いた新生姜に青ばんマヨネーズは、日々の晩酌に間違いのない味を届けてくれる逸品だ。

都会の駅は出口勝負だ。二分の一の確率を外してしまったわたしは、案の定迷いながらようやくたどり着いた。そこは平日のビジネス街の一角に2度見してしまうほどに青ばん推しが広がっている。

何も知らないであろう働く人たちの姿を眺めながら、これを買いに福岡から来たという事実が可笑しくて、1人噛み殺せない笑いがこみ上げてしまい、わたしはますます怪しさが増してしまった。

「ワンマンに来ました」という合言葉をレジで伝えれば、特典として準備されていたサイン入りJP青木シールを手に入れることができた。ミッションコンプリートだ。

店内はヘッドフォンを外してもアシュラシンドロームの曲が流れている。
オフィスで働く方々よ、みなさんにとって今日はただの平日だと思うが、わたしにとっての今日は特別な日なんだ。

楽しみは人それぞれ。もしかすると知らないうちにわたしも逆の立場となることがあるかもな、とそんなことを思う。

まだランチタイム前のリフレッシュスペースは人もまばらだ。小心者のわたしは1人で弁当を広げる勇気がなく、同じくこちらに向かっているフォロワーさんと合流し、青ばん弁当を食す。奇しくも武道館翌日にこの場所を教えてくれた方で、非常に感慨深い昼食となった。

しかし弁当屋の看板前で記念写真を撮るという機会はそう多くないはずだ。そんなところも特別感があって面白い。
今年の猛暑はライブ前の体力を奪っていく。一度フォロワーさんと別れ、ホテルに荷物を置きにきたはずが、シャワーで汗を流したらすっかりまったりとしてしまった。こうなったら外に出るのは億劫だ。

何もかもを詰めてきた荷物の中からTシャツを取り出す。先日のライブでメンバーからもらったサイン入りだ。特別仕様のそれに袖を通すと一気に実感がわいてきた。

アナウンスされた先行物販開始時間まではまだ少し時間がある。わたしは古の人なので、この空き時間にお手紙を書くことにした。字がきれいなわけではなく、手書きだと全く文章が組み立てられないのだが、それでもどうにか筆を取るのは、こうしてWEB上でどれだけ何を書いたとしても、スタッフに手渡すお手紙の方が届く可能性が高いと思うからだ。

ああでもない、こうでもないと、下書きを書いては消し書いては消しを繰り返していたら、いよいよ時間がなくなってきた。
ホテルのフロントでクアトロまでの道を教えてもらい、かの有名なスクランブル交差点を行き交う人の数の多さに恐れおののきながらも、徒歩より詣でけりでなんとかたどり着くことができた。

列をなす目的を同じくした方々とはじめましてのご挨拶を交わして、今日の期待を分け合いながら、青ばんゴールド、Tシャツ、タオル、なんだかんだと購入していたらお財布にはいたはずの彼と別れを告げることになってしまったが仕方ない。だから貯金が貯まらないと打首さんも歌っているではないか。限定物ならやむを得ないのだ。

本日のチケットの整理券番号は15番。そんな番号だというだけで緊張するし、最前の柵が掴めるのではないかと期待をしてしまう。

わたしはモッシュやダイブが苦手なため、どこで見るのかは重要な問題だった。
結局下手の端っこで柵を掴んだ。上手と下手、迷った時は下手の方を選ぶことが多い。利き手の関係なのかわからないけれどボーカルは下手に向かったステージングの人が多くないですか? 右手でマイクを持つからかな? 分からないけど。

オープンの瞬間はドキドキだ。走っちゃだめだって知っているけれど、早歩きくらいはしてしまう。なんだかんだ言ってもライブ慣れしていないのだから仕方ない。しかも参戦回数自体が少ないのだから、失敗はなるべく避けたい。

自分の位置が決まったところでフロアを見回してみると、全体の雰囲気としてはゆったりとしていた。最前組もギスギスしていないし、のんびりムードが漂っていたように思う。
よく考えればオープンからスタートまで1時間もあるのだ。待っている方としてはステージの上で出番を待つ機材を眺めてワクワクする以外にやることはない。

上手側の壁に大きく貼り出されていた、本日のミッションは10個。
アシュラシンドロームワンマン考察会というなんとも楽しそうな闇の会合にて定められた奥義披露がどれだけ達成できるのか。そこも今日の楽しみの1つだ。わたしもその日を収めた1時間半という長い動画でちゃんと予習してきた。

入場特典のラババンがうっかり配られていなかったり(ちゃんともらいにいきました)30枚限定のサイン入りバックステージパス風ステッカーがまだ買えると知って急いで物販に行ったり、スタートまでの1時間はなかなか盛り沢山であった。

打首さんのワンマンのように映像を流して楽しむというスタイルも良いが、スタンダードにただ待つというのもオツなものだ。
きっと何らかの意図を持ってチョイスされているだろうBGMを聴きながら、徐々に期待感が高まっていくのがいい。楽しみを抱えて待つというのは、普段は見ることのできない『時間』を可視化しているかのようである。

今日はワンマンだけあってカメラが入っている。一人一台、常にライブ中の姿を押さえるのだから、その膨大なデータ量を思うに編集が大変なことになるのも分かる気がした。
カメラマンさんがわたしの目の前にしゃがんでいる。ということはわたしの位置から見る姿は映像化されるものに近いということなのだろうか。わたしの記憶にきざまれていくであろう今日という日を、後日また別の形で楽しむことができるのだと思うと嬉しくなった。

19時30分、腕時計を確認したその時、客電が落ちてSEが流れ始める。定刻にライブは始まった。

わたしはアシュラシンドロームのライブに来るのは2度目だ。しかも1度目はつい2週間ほど前のことである。
パルプフィクションのテーマが流れて、わたしは思うのだ。「ああ、この間観た人たちだ」と。画面の中に一度戻った彼らがまたわたしの前に現れる。
少しだけSEも長めに流れた。なんだか焦らされているような気持ちになって心が落ち着かない。

ライブが始まる瞬間はいつも突然音が弾ける。ステージ袖から姿を表したときにはすでにスイッチは入っているのだろうが、もう一段階ギアを上げるその瞬間が大好きだ。

しかしそれはこちらもなのだ。戯れに1時間も待っていたわけではない。ただ受け手である以上、ステージからの音や光がそのスイッチとなる。

しかしとにかく亞一人くんの気合の入りようがすごいと思った。わたしの記憶にはアシュラシンドロームのステージが積み上がっていないので、去年のワンマンDVDや、先日のライブなどを思い出してみるものの、どちらも前提条件が違うため比べようがない。

声が出せますかと問われれば、こちらとしてもそれはもういくらでも出しますとも!という気概だ。
そしてコールアンドレスポンスからの1曲目は『男が女を唄うとき』。

わたしはナオキさんの前を陣取っていたのだが、目が合うと笑ってくれるんだね!しかもものすごく良い笑顔で。
これはこちらが照れてしまう。大層嬉しいけれど。
6弦ベースというあまり馴染みのない楽器は、とにかくそのネックの太さが見慣れない。専門知識に疎いわたしには、どっちが2本多いのかはっきりは分からないけど、恐らくは低音の方だと思われる。

2曲目は『絶対彼氏以上』。ここまでは先日の神戸と同じだ。わたしはこの歌の「お願い道しるべをちょうだい」という箇所がすごく好きで、亞一人くんの歌詞は語彙の数が多い方ではないけれど、時々良い語感の言葉が混ざっていると思う。

そして『My Ocean World』この曲、すごくカッコいい。本当に海の中から世界を眺めてるみたいな音がしてて、今度は逆に歌が入ってこないんだけど「めんどくさいから寝ちまうか」ってとこらへんから歌の存在感が大きくなる。そしてもう一回ギターソロで曲に戻されて、サビはまた雰囲気が違う。すごく不思議な曲。

『Big thunder(雷)』この「かっこ!」って言うこちら側の担当パートのタイミングがなかなかつかみきれない。次までにはもっと上達してますように。くやしい…むむむ。
そしてついに考察会の奥義が発動し、ナオキさんのベースソロタイムに突入。
センターでぶりぶりと弾きまくるナオキさんの後ろで、ナガさんとカズマさんが『拍手喝采』だとか『キャー』といった指示が書かれたプラカードを掲げるもんだから、わたしはそっちの方が気になってしまい演奏の方に集中できないという事態に陥ってしまった。
でもKenken直伝のソロ中にペグを回してチューニングを変えるという課題はクリアだ。かなり長い間弾いてたんじゃないかな。

そのまま『DxSxTxM』
この曲大好きすぎて、みんなで飛ぶところよりずーっと前に1人で飛び跳ねてしまった。どうやらわたしは楽しくて嬉しいと飛び跳ねてしまうようだ。普段の生活でそんなシーンは一度もないというのに、ライブとは本当に非日常の中にある。
そして最後は8の字ヘドバン。これに関して異論は認めない。

そういえば今回もMCのタイミングを間違えて、2回同じMCを聞くことになった。セトリのMCのところに( )書きで簡単な内容を書いておくのはどうだろう。
それをしてても忘れるということならばもう間違えることを毎回の恒例行事にするしかないのかもしれない。

『Starlight Blues』をナガさんが「スターライトという曲を演ります」と言ってしまい、亞一人くんが「スターライトブルース」って訂正してるのを聞いて、あ、そうだったと思ってしまったのは内緒。

ぱっと思い浮かべる曲調がブルースではなくてサビが「スターライト」って繰り返しているから何ら違和感を覚えなかった。

『行け!ポチ』はカッコいい。私はこの曲のイントロのギターリフがとても好きで、ランダム再生をしているときに流れてくると「あ!カッコいい…なんて曲だったっけ?」って思って歌詞を聞いて「あ、ポチか。そうだった」って思ったことがかなりの頻度であります。生で聴けて嬉しい。
バックボーンが手薄なためこの曲ができた背景が全く知識としてないのだけど、飼ってた…のかな? ポチ(仮名)なのかそれとも実在したポチなのか。架空の犬なのか。そんなことを考えずにはいられないけど曲が非常にカッコいいと思う。

さて、 アシュラ鍵盤加入賛成派のわたしとしては、会場に入ってすぐ下手にセッティングされたキーボードを目にしてテンションが上がっていた。

これ多分何回もどこかで書いたりつぶやいたりしているが、アシュラの曲は全体的にメロディアスなので、鍵盤を入れたらものすごく映えると思っている。
とまあそんな風に鍵盤ありで演奏される曲をとても楽しみにしていたのだけど、まさかあそこまで持っていかれるとは思っていなかった。

もうわたしはどのタイミングでMCが入って何を話して、どうやって奥義をこなしていったのか、本当に記憶がおぼろげなのだ。

まだ少ししか経っていないのに。観たもの聴いたものはいつもすぐに遠くに行ってしまう。
それは恐らくわたしの記憶に対するスタンスの問題だ。
感想をアウトプットするようになって気がついたことだが、どうやらわたしは出来事の詳細よりもそこに遭遇した『自分の気もち』を重視する傾向にある。
だから目の前で見ている状態を記憶するよりも、それを眺めるわたしを記憶してしまうのだ。それを踏まえて大事な記憶として残っているところを書きます。

懐かしい曲をやる、と言って始まったのは『運命の少女』という曲だった。
もちろんわたしはこの曲を聴くのは初めてだ。新参者のわたしはライブに来るのが2回目でBig thunderの「かっこ!」のタイミングもままならないのだから、廃盤になってしまった曲を知る機会はない。

しかし亞一人くんがこの曲を歌い始めてから歌い終わるまでの間、わたしの時が止まってしまった。大げさではなくわたしは本当に動けなくなってしまったのだ。そしてまだ曲が終わっていないのに「もう一回聴きたい!!」と願わずにはいられなかった。こんなことってめったにない…というか初めてだ。今まで色んなライブに行ったけれど初めての経験だったと思う。

わたしはとにかく亞一人くんの声が好きで、特にブレスと余韻の出し方にとんでもなく色気があると思っている。

リズミカルで言葉がたくさんある曲を歌うときの声の弾き方もすごく好きなのだけど、正統派の【聴かせる歌】を聴くのは初めてだった。
しかも音源ではなくライブでなのだ。喉もテンションも温まった頃のステージで歌うのだから、そんなのもう目も耳も離せない。

亞一人くんの気もちが歌の中にぐっと入っていくのが分かった。ブレイク後、歌い出す前に取り出した手が震えている。
本当に目が離せなくて、わたしの心のカメラで捉えたその左手のアップは脳に焼き付いている。わたしはこれを覚えておくために他の記憶を1つ失って構わないとまで思った。そして願わくばあの瞬間を映像に残していてほしいものだ。

1曲の時間なんてものはほんのわずかしかない。

次はなんの曲だろう、何を演ってくれるのだろう。ワンマンライブはそんな風に欲張ってたくさんの曲が聴けることが最大の贅沢であるはずなのに、わたしの気もちが整わなくて先に進んだ次の曲がすっぽり頭から抜けている。
『Black Hole』が本当に思い出せないんだ。

記憶を落としたわたしの事情などおかまいなく、ライブは先へと進んでいく。『Whiskey Coke Brandy Strike!!』は昔の曲だけど、今のメンバーで再録したものだ。1番新しいCDのMVとなっているのでわたしにとっても馴染み深い。
イントロのスネアドラムの甲高い音が好きだ。わたしはどちらかというと重めのドラムが好きなのだけど、この曲には合っていると思う。

色んなライブがあるけれど、ここを1番の頂にしたい。てっぺんにしたい。
ニュアンスだけだけど、こんな煽りから始まった『山の男は夢を見た』
頭の上に山を作って、これは経験済みだったから、前回よりもうまく出来たような気がした。

曲の途中にプラカードを持ったスペシャルゲストSu凸ko D 凹koiのどいちゃんが現れ、奥義が発動する。
【女性客をメロメロにする】と【会場を大きく使う】といったニュアンスだったと思うのだが、後者は写真を確認しても奥義披露の項目の中に見当たらない。

ともかく亞一人くんに出た指令で、そのとおりフロアに降りてきた。メロメロにされてるからこれ以上は無理だと思っていたが、要らぬ心配であったようだ。
センターの最前列あたりでフォロワーさんが抱かれていた(書き方に語弊が…)
そしてフロアを練り歩きながら、男性客と熱いハグを交わしていた。ディープキッスは…していなかったのかな? 見えなかったんだけどもしやってたのならば、しっかりと映像化してください。お願いします。

さて、そのまま亞一人くんがフロアのど真ん中に陣取った。フロントマンがそんな場所に立っていて、これから何が始まるのだろうと思っていたら

「入り口で貰ったラババンの黄色の人はこっち、ブルーの人はこっち」
というナガさんの声。
おお、これはもしかしてWODというやつではないですか。打首さんできのこ軍ととたけのこ軍に別れてやる、あの。…とわたしは少し離れたところからその流れを見守る。

そしてなんとこの事象に名前がついた。

【頂(いただき)WOD by青木亞一人】

真ん中に立つ亞一人くんから「俺が全部受け止めてやるよ」と男前発言が出たところで左右に割れたフロアが真ん中に、いや、亞一人くんに向かってぶつかり合う。

わたしの位置からは柱があってよく見えないので、少し場所を移動しながら見ていたが、壁が崩れて人がぶつかり、しばらくするとピョコっと亞一人くんが人の波の上に現れて歌いながらステージまで運ばれて行った。

フェスと違ってワンマンライブは担ぎ手の息が合っているというか、そのバンドのカラーに合ったお客さんしかいないのでこういうことができるのだと思う。楽しいね。

終わってからナガさんが「ケガしなかった?」って聞いていて、やっさしーと思ったよ。「突然始めちゃってごめんね」って。

実は今日のアシュラライブは優しさがキーワードでもあった。
MCを間違えてしまっても「…いいんだよ」とナガさんが微笑む。
どのタイミングのMCだったか忘れてしまったが、バンドを長らくやって、今が1番メンバーに対して優しい気持ちが持てているかもしれない。という話から始まって、喧嘩をしたり腹を立てたりとバンド内のことに少し触れていく。

それはナオキさんが正式加入して、つまりはようやくメンバーが揃ってからやっとのワンマンという事実の裏返しだ。正式メンバーが揃ってから結成を数えるという説がある、と言ってアシュラシンドロームは1年目のバンドですとライブが始まってわりと早い段階のMCで話していた。

わたしはバンドをやったことがないので分からないけれど、バンドという集合体が1つの組織でありチームだと考えるならば、やはり正式メンバーが必要なのだろう。自らが担う技術的要素に対しては責任を持てても、バンドそのものに対しての責任という負担はサポートメンバーには大きすぎる。

しかし今、アシュラシンドロームを4人で支えていくという体制が整った。
たしかに誰かに助けてもらうにしても、やはりまずは自分たちでしっかりと立っていることが大前提だ。骨子となるものがなければ、ふわふわとした風船のようにどれほど膨らませても、時間がきたら簡単にしぼんでしまうだろう。

責任を負うからこそ意見がぶつかったり、それによって良いライブができたり、CDを出したり、でもメンバーで喧嘩したり、と思えばお客さんの笑顔を見られたり、そんな風に様々なことが日々として、溜まっていく。
そして受け止めるための器がキャパオーバーになれば諸々は溢れてしまう。
それが「バンドを辞めるときだと思う」とナガさんがステージの上ではっきりそう言って、晴れの舞台にその言葉が出てきてしまった背景をわたしは思い浮かべる。

ここからは単なるわたしの推測でしかないが、もしかするとわりと大きめの喧嘩をしたのかもしれない。
ツアーとは遠征だ。お客さんであるわたしは飛行機で、新幹線で移動できたとしても、彼らはそうはいかない。
機材とメンバーと物販を詰め込んだバンドワゴンは、20代ならまだしも40も近くなれば身体はもちろん心にもかかる負担が大きいものだ。

楽しいこともあれば苛立つこともあるのだと思う。
そして苛立ちの中で言い争いがあり、それが激しくなれば喧嘩となる。
でももしかしたらそこの場では「辞める」などという言葉は出なかったのかもしれない。
晴れの舞台ではもしもの笑い話で口にできても、場面を間違えれば笑い事ではないくらいにその言葉には重みがある。

わたしはいつだって解散の二文字に怯えているのだ。公式アナウンスの【大切なお知らせ】に続く言葉として、絶対に出てこないでほしいと誰もが思っている。

そしてナガさんはその回避方法について語った。

器を大きくしていくことが大事だと。良いことも悪いことも水が滴り落ちるように溜まっていく。なんとか表面張力で保っているところに最後の一滴を落とすのはどんな出来事なのかは分からない。
だから器を大きくしていくことが大切なんだと。

わたしはナガさんのMCを聞きながら、その器を内側から広げていく力があれば強いのではないかと思った。やっぱりそういうものは誰かの力で広がるものではなくて、内側にあるものと真剣に向き合って、考え続けることから逃げない姿勢が広げていくものだと思う。誰かはきっかけにしかなり得ない。だからこそメンバーが必要なのだと思う。1人で背負うには大きすぎるから。

わたしはお客さんだからどうしたって外側を眺めることしかできないけれど、広がった形を目にしてまたライブに足を運ぶのだ。そしてもしもそれが彼らにとっての1滴となるのならこれほど嬉しいことはない。

「アフロをかぶろうと思う」と言ったナガさんに、「俺はちょっとそういうのは違うと思う」と反対した亞一人くんの言葉が最後の1滴にならなくて本当に良かった。

ちなみにそこまでしてかぶったアフロの出番は一瞬だった。ナオキさんのロン毛のヅラをかぶってのヘドバンという奥義発動もどちらも一振りで飛んで行ってしまった。

『北の大地だ ダリリダン』
親父編に入っている曲はやっぱり歌詞が独特だと思う。ダリリダンってなんだろうと思ってググってみたけれど、アシュラシンドロームに関連した情報しか出てこないことから、もしかするとJP青木のオリジナル表現なのかもしれない。だとしたら、ダリリダンという言葉に対してメロディーのつけ方がうますぎる。

そしてついに来た!ついに来た。『ごはんといっしょ青ばん』

限定販売の瓶詰め青ばんゴールド。わたしはパウチになってからしか知らないので、瓶詰めが買えて嬉しかった。

そして満を持して登場したのは瓶詰め青ばんだけにとどまらない。わたしは関係者ゾーンの近くにいたので、そのお姿拝見しておりました。バックドロップシンデレラの豊島"ペリー来航"渉さん。

手にしたフリップにはもちろん【ファミチキ買ってこい】の文字。さっきまでのカッコよいステージから一転、急に様子がおかしくなってきた。

ファミチキを買いに行く亞一人くん用にカメラ付きのヘルメットが用意されていて、なんとも本格的だ。渉さんのお腹空いた、からのファミチキタイム。

買いに行くのを渋る亞一人くんに「山男が最大の山場でしょ。あれ以上盛り上がるとこないでしょ」って言っちゃう渉さん。大澤会長とは違う亞一人くんのイジリ方が新鮮だ。

オープン前にフォロワーさんがライブハウス横のファミマを確認したら20個近く売られていて「え?買い占めたほうがいい?」ってなったファミチキ。果たして買えるのかファミチキ。チョコチップメロンパンが本当は食べたいんだと言う渉さんの発言は、クアトロのステージなのに高校の部室の再現性が非常に高い。

しかし今日はよく亞一人くんがステージから降りてくる。わたしは下手端の最前にいたのでお見送りの1番手を務めさせていただきました。いや、何もしていないけれど。

ばーんばばばんばーん♪と歌いながらフロアを横切って、出ていくとすぐにワイヤレスマイクの音が届かなくなる。Admではもう少し聞こえてたよね、と話すステージを眺めながら、ボーカルがいなくなってしまった会場は、なかなかゆったりとした時間が流れていた。一方その頃亞一人くんは、といったところはDVDになったときにやっと謎がとけるのだろうけど、とりあえずは渉さんとナガさんの話を聞きながらの中だるみタイム(命名:ナガさん)だ。

「亞一人は本当に馬鹿なんですよ」とはナガさんの言葉。でもその後にそこが魅力でみんなが好きなところとだと思うのですけどというフォローの言葉。はい、そのとおりだと思います。

「だから絶対何かあると思う」と話は続いたのだけど、個人的にはミラクルが起こしたり起こせなかったりする亞一人くんが好きだったりする。一生懸命さがにじみ出るところが好きなんだ。

鈴をつけられた猫のようにワイヤレスマイクの音がつながれば、ステージに亞一人くんが戻ってくる。

はて、手にしてるのは…?? 

この瞬間のクアトロの温度はなかなか冷ややかだった気がする。やっちまった感が漂ってて、こういうのヒヤヒヤしてしまいますよね。

ファミチキは?」という渉さんの問いは当然の言葉なのだが、おそらく会場にいた全員が同じ思いだっただろう。

たくさん言葉を連ねていたけれど、ファミチキは楽屋に用意されているのかなって思っていた。というのが亞一人くんの主張であった。
渉さんに詰められる亞一人くんはなんとも情けない。「うわーお父さんに見せたくないなこの姿」ってナガさんが言ってたのがなかなかのハイライト。
アタリかハズレかでいえば、完全にハズレであり、亞一人くんが持ってきたアシュラTシャツ(2種)は渉さんの「いらねえよ!!!」の言葉とともにフロアへと投げ込まれた。

そしてもう一回だ。有無を言わさずアゲインだ。さすがにこれでは終われない。

今度はファミチキでもメロンパンでもなく、漫画本(タイトルを忘れてしまった)を買ってこいと。下の階にあったブックオフは閉店してしまっていたがどうやら最新巻のためコンビニにも売っているらしい。果たしてどこまでが仕込みなのか。亞一人くんの反応は打合せという概念を曖昧にする。

またもやステージから降りてくる亞一人くんをみんなで見送って、まったりタイム再びである。

そしてここでナガさんから衝撃の告白が。おもむろに袖から取り出されるファミチキに会場から湧き上がる拍手と笑い声。こんなにたくさんの人から求められたファミチキをわたしは知らない。

バクシンの渉さんから池袋Admの店長さんとしてアシュラシンドロームのライブ情報解禁タイムとなる。こんなに素晴らしいさなかで、次が伝えられることは本当に嬉しいニュースだと思う。

渉さんはファミチキをもぐもぐしているのがなんだか可愛らしい。

そして満を持して2回目。おもむろにステージへと舞い戻ってきた亞一人くんが何やら頑張って手作りした風の何かを手にしているが、もうこのコーナーの主旨は何を持ってくるかではなく、袖から先程登場したファミチキの存在に気がついた亞一人くんのリアクションをみんなで愛でる時間となった。

アシュラの物販で戯れに売られている薄い本が手書きの紙に包まれている。表には買ってこいと言われた漫画のタイトルが書いてあるという、高校生どころか中学生レベルのおフザケになっていたが、大丈夫だ。みんなが待っていたのはそれではない。

ついにファミチキとご対面した亞一人くんの表情は抜群に安定していた。さすがとしか言いようがない。

あれ? さきほど『運命の少女』という歌で会場をうっとりムードで包み込んだ人と同一人物ですよね? 私はそのギャップにいつも混乱してしまう。

もしかすると亞一人くんは色んな気持ちがすぐ表情に出るところが魅力なのかもしれない。

だからカッコいいときはカッコいいし、うっとりムードのときはうっとりさせるし、驚いたときはビックリしている。

これ、簡単なようで実はできる人とできない人がいる。単純でシンプルな自分を人前で取り出してみせるというのは自信がないとできないことだから。

アシュラ公式が発売した噂の薄い本を渉さんがステージ上で読み上げるという荒業が炸裂する。これはまだ買ってない人がいるからって亞一人くんが言っていたけれど、そうじゃない…なんていうか恥ずかしいやつ…だよ。作品、とくに紙媒体は読み上げられると非常に恥ずかしいのでは? 作者の方が…とか余計な心配をしてしまった。そんなハラハラの中、2ページほど朗読してからの「いらねえよ!!!(2回目)」で渉さんのゲストタイムは終了した。

後からどなたかのツイートで、渉さんが食べ終わったファミチキのゴミを亞一人くんの胸ポケットに入れて、そのままずっとゴミがはみ出したままライブを続けたと書かれていて、おもしろすぎるその姿はDVDでぜひ確認したいところである。

胸にゴミを入れたままカッコいいステージにどうつなげていくのかが当面の問題となった。中だるみタイムは大事だとナガさんは言っているが、25分押しになってしまったことが判明したりと課題は多い。

わたしは徒歩圏内に宿を取っているので帰りの電車の心配はないが中距離で日帰りの予定の人は、時間との戦いだ。平日ということもありオープンも少し遅めだったからライブハウスが音を出せる時間などもある。さすがにワンマンならある程度は調整がきくのか、などなどそのあたりの事情に明るくないので少し不安になったりもする。

『TM NEET WORK』
赤坂見附の聖地巡りをしてからのライブ参戦が贅沢すぎる時間となるこの曲。

打首さんの武道館の翌日に、何一つ知識も思い入れもない状態で青ばん弁当を購入し、スマホでこの曲のMVを流しながら食べた思い出は、出会い方としては順序が逆だったのだろうなと感慨深いものがある。

今となってはいつか店員姿の亞一人くんにお目にかかりたいが、今日のお昼は青ばん弁当買いに行くかーといった気軽さで来られない距離にあるのは、地方勢の宿命である。

人口比率の問題で関西、関東のフォロワーさんとお話する機会が多いが、どちらもそれぞれの悩みはあることは伝え聞いている。誰もがライブハウス以外の場所に生活の軸があるのだから物理的な距離が近ければいつでも行けるというわけでもないものだ。

しかし多くの人が照準を合わせるという点で、やっぱり贔屓しているバンドのワンマンライブは特別なものなのだと感じる。この会場は今、アシュラシンドロームのライブを観るために集まった人たちなのだ。

『Devil hand=Tornedo(竜巻)』
デビルハンドがトルネードとは、JP青木の世界観はいったいどういったものなのだろう。自然現象に明るいのか、たくさん送られてきた歌詞の中で、そうしたものをチョイスしたのか。亞一人くんの煽りでフロアには大きな渦ができる。サークルモッシュだ。モッシュやダイブはステージからどんな風に見えるのだろう。同じ高さにいるわたしには、人の頭が加速しながら通過していくところしか確認できないのだが、ステージに視線を戻すとお立ち台の上でフロアを見る顔は満足げな表情を浮かべている。

『Live kids Everyday』
わたしはこの歌がとても好きだ。「さあ始めよう」という歌詞で始まるこの曲は、「最高の1日を始めよう」と、フロアから呼びかける言葉が、ステージから投げかけられる。このメタ視点の歌詞がライブで聴けることを楽しみにしていた。ここが世界で1番だと確認し合うわけではなく言い切ってしまうところが好きなのだ。
ショートバージョンであったがライブで聴く事ができて本当に嬉しかった。

俺たちを好きでいてくれる人が名曲だって言ってくれる曲。という言葉から始まるのは『月はメランコリックに揺れ』だ。

きっと大事にしている曲なのだろうと思う。そして個人的には2番の入りのところが1番好きだったりする。
あーいぇーとフロアから大合唱するこの曲は、こちらが歌っているときに亞一人くんが本当に嬉しそうな顔をするのだ。
どんな風に見えるのだろう、どんな音が聴こえるのだろう。光を、音を、受け取るばかりだったわたしが、モッシュWODも、ビビって参加できないわたしができる事は手をあげることと声を出す事くらいだ。もっと大きな声が出ればいいのにな…そんな風に思う。

「自分のことなのに他人事みたいな歌詞がいいね」
以前、この曲がいいんだよ、とお勧めしたらそんな風に言われたことがある。なんて素敵な表現なのか。
半径10メートルくらいの出来事を歌詞にしてそうなのに、ほんとうのことはどこにもなくて、いつも中心には届かない。亞一人くんの書く歌詞に対するわたしのイメージはこんな感じだ。

あーいぇーの大合唱を終えて、本編も終了する。25分押しはアンコールに影響を与えるのかどうなのか。どこからともなく「最初から、最初から」とコールが聞こえる。そういえばその言葉を口にだしたのは、3月の打首さんの武道館以来だなと思いつつ、数回くりかえされたコールを楽しんだ。

これはもう何回も言っているのだが「アンコール、アンコール」というコール文化はいつ終わってしまったのだろう。わたしがライブハウスから遠のいている間に消えてしまった。今はただ手を叩くことで「終わらないで」という気持ちを伝える事が主流になっているようで、実のところ未だ馴染めていない。

アンコールを楽しむのもワンマンライブの良さであると思う。演者が一度はけて、ステージの上に誰もいなくなる。照明が落ちて置き去りにされた楽器の上に静かな光。区切りを入れる事で、あと残りわずかとなった時間を更に特別なものにする。

アンコール1曲目は『Get Wild
やっとフルコーラスで聴けた。いつも大人の事情が邪魔をして、わたしの中でバナナマンの日村さんを超えるゲワイに出会えていなかったが、やっと会えたねと感慨深さもひとしおだ。フォークソングからジャパメタに移行していったわたしはTMを全く通っていないのだが、まさかこの曲でこれほどテンションをあげる日が来るとは思っていなかった。会場に足を運んだ人しか聴けないアシュラのゲワイ。入場者特典限定ラババンよりも希少価値が高いかもしれない。

そしてオーラス、本当に最後の最後は『DaringDaring』
下手の端で柵を掴んでいたわたしだったが、我慢できずにセンターへと体を移動させた。観る、聴く、だけではなくて、より今日という日を感じられる場所を目指して、心導かれるように盛り上がりの中心へとそっと近づいていった。
残念ながら動き出すのが遅くて届かなかったけれど、ステージから逆ダイブして客席の波に背中を預けた亞一人くんが見える。終わってしまうまでの後わずかな時間を最大限楽しむかのように、たくさんの手がその背中を支えている。キラキラとした光の中で、泣かせるくらい切ない歌声も、繊細なベースラインも、存在感のあるドラムも、カッティングが心地よいギターも、全てがひとつの音となり最後のフレーズへと向かっていく。
ゲストの2人が美しい逆ダイブを魅せて、全ては終了した。

ステージに高々と君臨するシンバル。喧嘩上等と長いはずの足がちっとも上がらなくて考察会で笑いを誘っていたはずなのに、華麗なキックを魅せた亞一人くんは[持っていた]。ファミチキは買えなかったけれど、この絶妙なところが良いところだと思う。

会場を包む温かい拍手が最後の音となる。ライブの終わりはいつだってそうだ。
最高の1日を始めようと声をかけるのも、最後の最後まで音をだすのも、わたしたちの方なのだ。ステージの上から放たれる熱を受け止めて、全身で感じとって心の中に届いたものをそっと自分だけのものにして。
記念写真を撮り終えれば、空っぽになったステージは暗がりとなる。代わりにフロアが明るく照らされると、そこは高揚感を抱えた笑顔で埋め尽くされていた。はけてしまった演者が決して見る事のないその風景は本当に最高だとわたしは思う。

ポケットからくしゃくしゃになったドリンクチケットを取り出して、汗で出ていった水分を補給する。わたしは鞄の中に置き去りにしていた、ほんの数時間前に書いたまだ冷静さの残る手紙の封筒に、たった数行だけ今日の感想を書きなぐった。回らない頭は語彙を手放していて、馬鹿みたいな文章しか出てこない。一方通行なそれを何とか預けると、クアトロに背を向けた。
終わった瞬間からその時間は過去となる。もう一度、と願う心の中が本物のアンコールなのかもしれない。伝える術のないその願いを抱えたまま、現実へと通ずる扉をくぐる。

まだ昼間の熱を保ったまま、渋谷の街がわたしの事情など知らぬ顔でそこにある。とても高い場所から小さな月が青白い光を放ちこちらを見ていた。