箱日記

ライブに行った感想を細々とつづっています。

2019年8月17日 アシュラシンドローム RISING SUN ROCK FESTIVAL 2019 in EZO.~中編~

ステージが終わって外に出て、見上げた夜空にぽっかりと浮かんだ丸い月。
わたしはその景色を一生覚えているだろう、そう思った。

 

 

日本4大フェスのひとつであるRSR
これまで野外フェスは2つほど経験しているが、これほど大きなものは初めてだった。
フェス慣れしていないわたしにとって、右も左もわからない。まず入り口でチケットをリストバンドに交換してから、入口の前に立つ。ゲートが3つもあり、一体どこから入っていいのかすらも分からない。
怯えながらスタッフの人に尋ねると、どうやらどこから入っても大丈夫だったようだ。
ゲートをくぐる。どこに行けばいいのかさっぱり分からないまま、人の流れに身を任せてそのまま真っ直ぐに進んだ。

 

物販だ。まず何はなくとも物販に行かなければ。
アシュラの限定グッズを手に入れるところから始めよう。そう思ってあたりを見渡すが、広すぎてさっぱり見当がつかない。
行けば何とかなるだろうと思っていたが、予想よりもとにかく広い。ぐるりと見渡したくらいでは何がどこにあるのか全く分からない。予め入れておいた公式アプリの地図を開くが、物販の場所が分からず、右に行ったり左に行ったり、完全に迷子だった。心を落ち着かせるために、とりあえずビールを買う。

優しいフォロワーさんからリプをもらい、教えてもらったあたりの地図をよくよく見ると、小さくTシャツマークがある。ここか!わたしはテクテク歩き、ようやく物販にたどり着いた。
入口から物販の場所まで歩くだけで、おいマジか、とその広さに心が折れそうだった。アーティスト物販は出演会場ごとに分かれていて、defgarageの文字を頼りに、何とか見つけることが出来た。
まだ時間が早かったこともあり、大した列もできていなかったので無事お目当てのものを購入することが出来た。嬉しい。数日前にTwitterで見てから、絶対に手に入れるんだと息巻いていた品を手にホクホクとした気持ちでその場を離れた。

今回、北海道のフォロワーさんからお声掛けをいただいていてテントに来てくださいとお誘いしてもらっていた。拠点がないと大変だから荷物も置かせてくれるという本当にありがたいお申し出だ。
初めてお会いしたのにとても気さくに受け入れてくれて、今思えばこの拠点がなければわたしは会場の片隅で干からびていたかもしれない。
RSRにはもう何年も連続で参加しているというベテランさんで、今年はアシュラ目当てで来る人たちに楽しんでもらいたいと言ってくださって、どれだけ心強かったことだろう。最初から最後まで本当にお世話になった。

荷物から解放されて、身軽になったわたしは、何の計画性もなく会場をウロウロと美味しいものやお酒を求めて歩き回った。どこに行っても音楽が流れ続けている。

天候を考慮してか2日目は少し遅めのスタートとなった。アシュラのステージも当初の予定から2時間後倒しの19時30分から。打首さんに至っては明けて3時からだ。
体力を温存しておかなければ、アシュラはまだしも打首さんのステージが心配だ。わたしとしては無事2つとも楽しんで、あわよくば日の出だって見たいのだ。
根室から石狩を目指して500キロという長き道のりを自転車で移動してきたフロントマン2人は、3ヶ月というそこそこの時間をかけて体力づくりに励んでいたことだろう。一方のわたしはといえば、普段は車移動の上、デスクワークなため1日の歩数計が1,000未満という大変自堕落な生活を送っている。
クーラーがない場所に居続けることすらできるかどうか定かではない。
ただ、ありがたいことに気温は福岡のそれよりも10℃ほど低い。それだけが唯一の救いだった。さすがは北海道。涼しいかと聞かれればそこまででもないが、体温とほぼ同じ外気温を保っていた場所から移動してきたおかげで、ずいぶんと過ごしやすく感じた。

13時30分からの『オメでたい頭でなにより』のステージを観るために、Earthtentに移動した。オメでたのライブを観るのは初めてだった。バンドに対する知識はあまりないのだが、赤飯くんのことは色んなところで目にしていた。
ホルモン2号店としての活動もしており、知名度もどんどん上がっているからかEarthtentも人がはみ出そうなくらい集まっていた。『推しごとメモリアル』という曲は知っている。キャッチ―で楽しい楽曲だと思う。数日前フォロワーさんに教えてもらったダンスを踊ることに成功した。個人的には俺たちはラウドロックだ、ラウドな曲をやるバンドなんだと煽ってからの「サクランボ」がツボだった。お約束なのかもしれないが、初見の人も楽しめるステージマネジメントの手腕はさすがだった。

何曲目かの曲終わり、ふと、見覚えのある背の高い人物とすれ違った。
あ、あれはもしや…JPではないか。「アシュラシンドローム」と書かれたバックステージパスを首から下げているのが目に入る。息子の晴れ舞台、きっと彼も今日という日を楽しみにしていたことだろう。
2年前はパスなしで入口を突破しようとしていたというのに、今年はパスを首から下げて堂々と会場を歩いている。札幌のワンマンでもその姿をお見かけしたが、一体どんな気持ちなのだろう。同じく息子を持つ親として想像してみるが、きっと規模の問題ではないのかもしれないとそう思った。
自分の息子が何かに向かって必死に取り組み、結果を出そうとしている。事の大小関係なくその事実だけで充分なのかもしれない。おそらくアシュラのステージをどこかで観るのだろう。彼にとってもまた、今日という1日が大きく刻まれていくのだろうなと、わたしはその後ろ姿を見送った。


福岡から別口で旅立ったフォロワーさんと合流して、一昨年10獄食堂が店を構えていた石狩の美味いものが集まっている石狩市場に足を踏み入れた。鮭醤油ラーメンや石狩バーガー、そして望来豚のフランク、見覚えのある食材が売られているその場所は、見ているだけでワクワクした。
望来豚の肉まんが今年は売られていなくて残念だったが、胃袋と相談してビールと望来豚のフランクを注文する。


注文したものを受け取り、口に運んで食べる。ただそれだけなのに、それだけではない意味が上乗せされて、幸せを噛みしめる。肉汁が口の中に広がって、喉の奥へと落ちていく。ビールが美味い、外で飲む酒はいつだって極上だけどそれだけじゃない。なんて贅沢な時間なのだろうと思う。空は晴れていて、あっという間に時間が過ぎてゆく。

ふと視線を向けた先に、ん?ドコカデミタヨウナヒトが…。
フェスで出会ったらハイタッチなら大丈夫って言ってくれてるあの人では…?あの人では…!?
わたしは気付くのは早いのだが、声をかける勇気がない。迷っていたら、近くのフォロワーさんがすっと近づいてハイタッチをしているではないか!おお!!本物の…大澤会長!!!
わたしはおずおずと手を出して、驚くほどソフトタッチなハイタッチをすることに成功した。鮭醤油ラーメンを堪能し、ごみステーションにいたところを突撃してしまい申し訳ない気持ちもあったが、石狩市場で会えたのは何だか嬉しいではないか。
その後、チダさんも現れて何やらカメラを回しながら飲食ブースを回っていた。きっとあれば何らかの何らかになるはずであり、わたしとしては非常に楽しみにしている。

離れたところから会長とチダさんをずーーーーっと観ていたかったがそういうわけにもいかず、気がつけば時刻は17時を回っていた。あと2時間半。defgarageだけでいうと、次の次がアシュラの時間である。わたしはお世話になっているテントで購入したライジング限定Tシャツに着替えると、トイレなど所要を済ませて、会場へと向かうことにした。

1日目が中止になり、ナンバーガール目当てで北海道入りした人たちの悲しみのツイートの中で、「1つのバンドを目当てにフェスに行くのはリスクが大きい」といった趣旨のものを見た。一言一句、わたしもそうだと思う。
フェスのチケットは決して安くない。お目当てがたくさんいる方が絶対に楽しいし、色んなアーティストを楽しむのがフェスの醍醐味だ。
しかしわたしにとってフェスとはお洒落なビュッフェのようなものだ。美味しくて可愛いものを少しずつ、1つでお腹いっぱいにならないように食べられる人になれればよいのだろうが、わたしはガッツリ定食を食べたいんだ。

わたしが打首さんをしっかりと認識したのは2018年1月。
初めてライブに行ったのが翌月2月。それまでの1カ月で当時現存している10獄放送局を全て観た。その時点ですでに41回もあり、全部観るにはそれなりの時間もかかった。
そして3月には、武道館にいた。
あの日はわたしの中で、色んな意味でスタートだった。小さな会場で、少ないお客さんの前で演っていた頃など知らないというのに、大舞台で素晴らしいライブを行った彼らを観ることができたのだ。

余韻に浸りながら参加した飲み会で、複数の方から「アシュラシンドロームいいよ」と「聴いてみて」とそんな風に言われて。その時はそうなんだーくらいの軽い気持ちでその話を聞いていた。
翌日飛行機までの時間を持て余したわたしは、偶然出会ったフォロワーさんと一緒に亞一人くんのバイト先に行くことになり、そこで初めて食べた青ばんを使ったお弁当。サイン入りのJPステッカーをもらったのは良い思い出だ。
その日はよく晴れていて、腰かけたベンチでスマホを取り出し『TMNEETWORK』を聴きながら、そのお弁当を食べた。吊るされてたねーなんて話しながら食べたお弁当は本当に美味しかった。

そして福岡に戻ったわたしは、その楽しかった思い出の一端を担ってくれた亞一人くんという存在に感謝の気持ちを込めて、天神のタワレコで『俺達が売れたのは、全部お前たちのせいだ』というミニアルバムを予約したのだ。
そうこうしていたら、ライブ会場でしか売っていないという『超メテオスロームZ~売れる予感~』というワンマンライブDVDと青ばんを買ってこようか、というお申し出をいただく機会に恵まれた。今思えば沼の入り口でダイブするタイミングを見届けられていたことだろう。当の本人はちゃぽちゃぽと足を付けているつもりでいても、知らぬうちに首まで浸かっている。それが沼の恐ろしさである。
気がつけば我が家の冷蔵庫には青ばんが常備され、今日まで切れたことはない。

わたしはライブに赴くまでの足が重いタイプで、勧められてもなかなかその機会を作るに至らない。アシュラのライブも、まあ福岡に来てくれたら行ってみようかな、なんてそんな風に思っていた2018年の6月。
RSR2018の出演者が全て発表され、アシュラシンドロームが初出場の切符を逃してしまったということをTwitterで知った。
わたしはとても心配していた。10獄放送局を観た人ならば誰もが、一体この状況をどうやって収めるのだろう。そんな不安にかられたはずだ。
宣言とは取り出された約束だ。必ず努力して来年ライジングサンに出たいと、亞一人くんはRSR2017のEarthtentでそう言った。ライジングに出場するのが夢だとそう言っていた。
その約束が叶わないとなった時、どうするのだろうとわたしは彼らの行く末を案じたのだ。

そんなわたしの心配をよそに、後のことは動画にしっかりと残っている。8月19日Zepp札幌で打首さんとのツーマンライブが発表された。
この動画を最初に見た時、わたしはどうしても腑に落ちなかった。わたしは好きなバンドの界隈をまるっとひっくるめて全部好き、とはならない。あくまでもバンド単体で好きかどうかだけを考えて、ライブに行くかどうかを決めたいと思っている。
購入したミニアルバムを繰り返し聴き、ライブDVDを観て、アシュラのことは好きになっていた。でもこのZepp札幌はどうしてだか、よし!チケットを取ろう!と思えなかったのだ。
会長が主導権を握っているように見えてしまって、そこにアシュラシンドロームとしての意思がどのくらいあるのかが見えないような気がしたからだと思う。
Zeppはキャパ2000人という大きな会場である。
特にその当時打首さんはZepp対バンツアーを発表しており、他のメンツはといえば、キュウソネコカミDragon Ash、そしてわたしが大好きな筋肉少女帯
Zeppでのツーマンといえばこのくらいの規模のバンドになってしかり。
会長が差しのべた手は、果たして彼らにとって良いことだったのだろうか。いらん心配だと思う。お前は何様だと自分でもそう思う。それでもやっぱり大小関係なく自分たちの足で立っているバンドがわたしは好きだ。

ぐるぐると答えのない疑問の中、わたしはふと思う。わたしはアシュラシンドロームのライブをまだ観たことがないではないか。ライブという彼らが一番輝くであろう現場をこの目で観ずして、何を偉そうなことを考えているのだと。

急いで公式サイトから、わたしが行ける可能性のあるものを検索すると、7月に神戸でのライブ予定を見つけた。
小さなライブハウス。ワンマンでもツーマンでもなく、たくさんのバンドが出演する予定のライブ。そうなれば1バンドの持ち時間も30分程度という短さだ。
しかも福岡から神戸、近いとは言えない。普通に遠征の距離である。
今でもこの時の遠征費を使えばZepp札幌に行けたのではないかと思う時がある。そのくらい突発的に取った新幹線や神戸での宿は距離の割に結構な金額であった。

しかし結果的に、わたしはこの日のライブに参戦したことで、完全にアシュラシンドロームを大好きになった。沼落ちのさらに奥深くに沈んだ瞬間だったと思っている。詳細は当時の感想文にも書いていて、読み返すと語りすぎていてこっ恥ずかしいくらいだ。

そして翌月開催予定であった、渋谷のクアトロワンマンのチケットも手に入れた。Zepp札幌には「行かない」と決めた。
その代りに、振り出しに戻ったアシュラが本当にRSRに出場するときが来たならば、何があっても絶対に行くと決めた瞬間でもあった。
だから札幌ワンマンが発表された時も、RSR出場の足掛かりになる大切なライブだとそう思ったから、年度末という社会人として生きるわたしにとって厳しい日程であったが、何とか仕事を調整して初めて北海道という地に足を踏み入れたのであった。

今ここに書き起こしていても、自分のことを本当にめんどくさいと思う。ある種の気持ち悪さも感じている。おそらく読んでいる人もそう感じるだろうから書く事を迷ったのだが、そのくらい今回のRSR参戦はわたしの中で大きなものだった。

ひとつ前のバンドのステージが終わり、会場を出て行こうとする人たちをかいくぐって、わたしは前へと進んだ。人を押しのけて行くことを得意としていないわたしだったが、今回ばかりはそうも言っていられない。すいません、すいませんと謝りながら最前列の柵を掴んだ。

視界が開ける。遮るものがひとつもなく、ステージが見える。ステージ奥にdefgarageと書かれた文字を見た時、ああ、わたしはこれを観るためにここまで来たのだとそう思ったら、うっかり涙が出そうになった。数時間おきに台風情報を眺め、飛行機が飛ばないかもしれないという不安に胃を痛めながらようやくたどり着いた札幌で、1日目の中止を知った。
あんなに苦労してここまで来たのに観られないの?言葉にしてはいけないと思いながらも、すすきのの街でわたしはもう居ても立ってもいられない夜をお酒と共に飲みほし、ただ祈った。わたしですらそうだったのに、ようやく夢が叶うというその寸でのところで、天候により開催が危ぶまれて審議が入ったその夜、彼らは一体どれほど不安だっただろうか。

ステージの上ではスタッフが忙しなく準備に追われている。フェスはセッティングも音だしもフロアにいるわたしたちが見守る中で行われる。誰もが息を飲んでその姿を待っているのが分かる。
袖から楽器を持ったナガさんが出てきた。会場から声が上がる。ナオキさんもカズマさんも出てくる。
そして亞一人くんの姿が見えた時、一層大きな声があたりに響いた。みんな待っていた。自転車で根室から石狩を目指していたからといって、間に合わないかもしれないといった不安ではない。
夢のステージに立ち、今まさにあと数十分で始まるライブのために準備をする姿を見て、そこにいる全員が本当に本当に嬉しかったのだと思う。

わたしの左側にいた方はすでに泣いていた。「まだ始まってませんよ!」そんな風に労いの言葉をかけた。初めて会う方だったけれど、気持ちが痛いほどに分かった。みんな同じ気持ちなのだ。
良かったね。おめでとう。ありがとう。がんばれ。会いたかったよ。…声にはならない。セッティングはまだライブではないから、きっとみんなまだ少し我慢している。
ライブのための準備を邪魔してはいけないのだと、そこには暗黙の了解がある。それでも熱だけは充分に感じられるほどだったと思う。

マイクをテストしながら、音の調整をしながら、照明の様子をスタッフが確認している中で、「アシュラシンドロームです」と亞一人くんが言った。すでに目がうるんでいるのが分かる。最前は表情までもがよく見える。
上手の袖には会長の姿が見える。チダさんがカメラを持ってステージの様子を撮影している。あす香さんもJunkoさんも、亞一人くんのマイメンことWESSの岩井氏もいた。この空間はいったいなんだ。わたしはとても不思議な気持ちになる。

音だしは【山の男は夢を見た】
わたしはセットリストの予測などは全くしないのだけど、「1曲目に演る曲で音だしをする」と言ってはじまった。
Zepp札幌の宣言式典で、ライジングサンという高い高い山に登る夢を一緒に見てくれないかと亞一人くんはそう言った。あの時の1曲目も山男だった。その流れをくんだ、RSRの一発目を飾るにふさわしい曲だ。

頭の上に三角で山を作って。初めてライブに行くとツイートしたときにフォロワーさんから「頭の上に何が見えますか」って言われたら山を作るんだって教えてもらったことが懐かしい。
1番のサビまで演奏して、一度音が止まる。
音だしは普通の演奏とは違って、少しだけ緩めである。わたしは音だしを聴くのが好きだ。本当に演奏しているのだなというのがすごくよく分かる。
通常のライブでも音源と全く同じというわけではないのだけど、確認作業なので音抜けもたくさんあって、本当に目の前の人たちが一つ一つ演奏することで曲が生まれているのだということがよく分かるのだ。

ステージの上は確認作業でも、フロアはすでに本気度が高い。誰もがこの時間も含めて楽しもうとしている。

もう一回練習するといって再び【山の男は夢を見た】が演奏される。初めてのRSRのステージは、セッティングの段階ですでにホームのような温かさに包まれている。ここに集まっている人たちは、みんなこのステージに特別な意味があるのだということを知っている。

セッティングは完了し、メンバーがはけていく。再び誰もいなくなったステージを眺めながらわたしは時計を確認した。始まりの時間まであと僅かしかない。

爆発しそうな心を抱えて、ほんの僅かな静寂の時。わたしが暮らす町よりも果てしなく北に位置するこの場所は日が暮れるのも随分と早い。テントの隙間から少し陽が落ちていく様子が見えた。この分だとステージが終わるころには夜がやってくるのだろうとそう思った。

薄く流れていたBGMが大きくなり、ボリュームが絞られて、SEへと変わる。
パルプフィクションが流れる。それだけで心臓が早鐘を打った。聴きなれたその曲と共に、ステージ袖からメンバーが現れる。これまでのライブでだって何度も見たその光景も、今日はやはり特別な意味を持っていて。袖で真剣な表情で見守っている大澤会長とハイタッチをしてからステージに出てきたのが目に入る。今度こそフロアからは思い思いの言葉が聞えてくる。一つ一つの言葉は重なり合って、出てきたメンバーに向かって大きな歓声となった。


1曲目は予告通り【山の男は夢を見た】
ライブの時にだけ演奏される、登場のBGMかのようなイントロに乗せて亞一人くんがタイトルを告げると、あらかじめ宣言されていた予定調和の嬉しさがそこにある。

大変だったのに、来てくれて本当にありがとう。という亞一人くんの言葉で、わたしは全てが報われたような気がした。よく考えれば一番過酷な会場入りをしているのはあなたの方ではないですかと思うのだが、みんな大変だった。みんな不安だった。でも会えた。会えたんだ。

後ろからの圧が強くなり、ぐっと押されて、頭の上をダイバーが転がっていく。飛ぶと思っていなかったのかどこからともなくセキュリティが慌てて柵とステージの間に現れる。
まだ1曲目だというのに足に力が入らなくて、わたしは震えるその足に必死で力を込める。嬉しくて嬉しくて顔が自然と笑顔になっていくのが分かる。

アドレナリンが一気に放出して、聴きなれた曲に向かって手を振り上げる。サビでは必死で左右にその手を振って、1分1秒、何も逃すことなく聴いていたい。片時もステージから目が離せない。


2曲目【ロールプレイング現実】
3月に発売したミニアルバムのリード曲は、札幌ワンマンが初聴きで、それ以降のライブでは必ず演奏された。
『作戦会議』 ガンガン行こうぜ 『戦え』 何を 『人生を』
筋少が大好きなわたしにとって、このコール&レスポンスは本当に楽しいし、時空の歪みをいつも感じる。

この日の亞一人くんはこれまで見たことがない表情をしていて。
ライブ中にフロアを煽る、自信満々で殺す目をしている表情が大好きなんだけど、今日は少しだけ違っていた。時折目じりが少しだけ下がって緩んだかと思えば、また強く細められる。拭っていたのはきっと汗ではなくて涙なのだと思う。
普段のライブよりも力が込められた瞳で、一体どんな景色を見ているのだろう。

会場もたくさんの人が泣いていたと思う。そうしたツイートもたくさん見た。
わたしの中で涙は悲しみやくやしさに紐ついていて、だから泣かない。だって今日は嬉しくて楽しくてしかたない。

曲の間にMCが入ったように思うのだけど、もう記憶はカッスカスになっていて、思い出せない。チダさんの他にもオフィシャルスタッフ以外でカメラを抱えている人がいて、後で東京のライブに良く行くフォロワーさんから、あれは映像スタッフさんだということを聞いた。今日という日を余すところなく映像化してくれるのだろうかと期待しつつも、それはすべて後からの話で、実際のライブ中はそこに意識を向けるのが難しい。写真撮影OKのバンドのライブに行ったときに、スマホの操作が邪魔くさくてそんな暇はない、って思ってしまうのと同じような理由からだ。
普段はどうやったってスマホの画面やパソコン画面の中にいる人たちなのだ。せっかく目の前で観られる貴重な時間に、わざわざカメラ越しに見るのはもったいないではないか。わたしは自分の目で、心のフィルターを通して観たいのだ。心のカメラに焼き付ければ、いつだって好きなように取り出すことが出来る。映像化はプロに任せて、わたしはわたしのアングルで勝手に楽しませていただきたい。

ライジングに出られたこと、このステージに立てた事、語り始めたらキリがないので、その気持ちを込めた新曲を作ってきた。
そんな風なことを言っていたと思う。まさか聴けるとは思っていなかった。10月のワンマンの日に発売だと言っていたので、その時が初披露だと思っていた。たしかに後から考えれば、今日この日にお披露目するのが最適だったと思うのだが、取り出されるまで1ミリも思いつかなかった。
おかげで驚きも嬉しさもこの上なく高く、察することが出来ない人間で本当にラッキーだ。

今日初めて表に出るその曲は【Over the Sun】
ライジングサンの向こう側。RSR出場は、夢で、目標で、でもゴールではない。出場が決まったことが嬉しくて投稿した音楽文でも書いたが、ここはきっと彼らにとって新たなスタートラインだ。
大団円で幕を下ろすのは物語の世界だけで、現実はハッピーエンドのその先もずっと続いていく。
アシュラは10月のワンマンライブを皮切りに、ツアー予定を組んでいる。東京だけでなく、どうしても知名度が低くなりがちな地方においては、カップリングツアーや対バンツアーという形で予定を組み、気心の知れたバンドとのライブツアーが発表されていた。
一連の取り組みを見ていて、RSRに「出る」ことが目的ではないのだなというのを強く感じた。
多くは語られていないが、10月5日の渋谷クアトロワンマンリベンジ。再びクアトロを会場としたこと、わたしは本当に素晴らしい選択だと思っている。

ワンマンライブではない、つまりその人たちをメインに観に来ているだけではないフロアにおいて、定番曲のセットリストが安全パイだ。定番ではない曲…つまり売れてきたバンドだったら昔の曲。再結成のバンドは新しい曲。そして未発表新曲に至ってはそのどちらにしても最たるものだ。盛り上げるだけの底力が必要となる。

イントロが奏でられる。このイントロが非常にカッコよかった。誰も知らない、初めましての曲が会場を包み込む。メンバーと限られた人たちの中で静かに生まれて今日まで温められていたその曲が、RSRのステージで陽の目を見る。…まさにライジングサンだ。

『手に入れた赤い太陽
今ここから始まるのさ
幻なのか現実なのか手のひらに灯り燃えた
強くこの手で握りしめて天高く突き上げた』 -Over the Sun-

初めて聴いた歌の歌詞の意味までもを自分の中に落とし込むのは難しい。だからこれはRSRが終わってわずか4日後という速さで公開されたMVのおかげだ。公開された瞬間に「やられた!!」と思った。こんなものすごいものを隠し持っていたなんて。

途中コーラスのパートがある。
もちろんコーラスなので、練習やレコーディングではメンバーの声で歌われている箇所であるが、恐らくフロアから歌うことを意識した作りになっている。
ステージで歌う声と重なって、会場に響き渡る。わたしたちも初めて聴いた曲だったがついて行こうと必死に声を出す。今日この場で披露され、わたしたちの声が返っていくことで初めて完成して形を得た、とまでいってしまうとあまりに自分勝手で都合がよすぎる解釈だろうか。構わない。こういうことは言ったもの勝ちだ。
ナガさんがはじけるような笑顔を見せた。わたしたちは誘導の元、手を振り上げて音に合わせて手を叩く。

今回ライブのMCをほとんど覚えていないのには理由がある。わたしの小さなキャパでは受け止めきれないほどに印象的なシーンが、言葉が、表情が、たくさんあったからだ。

【月はメランコリックに揺れ】
ライジングのステージで歌う姿を目に焼き付けながら「あーいぇー」がしたかった。わたしはその瞬間を待ち望んでいた。
この曲はライブでは本当に定番で、どのライブだってほとんどフロアからあーいぇーと声を出した。本当にこの曲は名曲だと思うし、毎回毎回やる事は同じなはずなのに、いつだって歌いたいし、例えば自分が行けなかったライブ後のツイートでは、この曲でフロアが大合唱しているところを観たくなる。

ミドルテンポのバラード曲。盛り上がる激しい曲だけでなく、こうしたバラード系が定番に入っているのは、やはり亞一人くんの歌声の成せる業なのだろうか。
いつものようにドラムの音だけになり、さあ!と言わんばかりにみんなが歌い始める。大合唱が始まれば、亞一人くんが嬉しそうに笑うのだ。わたしはその顔を見るのが本当に大好きだ。
しかし、今日は違っていた。誰に指示されるでもなく、当然のように歌い始めたわたしたちを前に、亞一人くんが「ちょっと待ってくれ」と言った。それでも止まらない声に「し、」と言って、それでようやくフロアの声が止む。

本当はここでみんなであーいぇしたいんだけど、みんなで歌いたいって思ったけどちょっと待ってくれと。どうしても自分の言葉で伝えたいことがあるのだと。
わたしたちはいったい何が始まるのだろう、何を言い出すのだろうと、亞一人くんの言葉に耳を傾ける。

ここからは一言一句覚えているわけではなく、ポンコツなわたしの朧げな記憶頼りの要約になるが許してほしい。
正解はきっと後に映像で観る機会があるはずなので、もし違っていたらその時にまた訂正すると思う。

「北海道、札幌市、豊平区出身…」から始まったその語り。
13年前に小さなライブハウスでステージに立って、いつかはライジングサンのステージに立ってみたいなんて到底叶うはずもないものが、いつしか夢になって、目標になって今日本当にライジングサンに出ることができた。
もし夢を持っているヤツがいたら諦めんなよ。俺みたいに叶う事だってあるから、絶対に諦めるな。

…記憶に少し自信がない。けど概ねこんな感じだったと思う。13年前というキーワードと夢を諦めるなって言ってたことは覚えている。

アシュラシンドロームというバンドのオリジナルメンバーは亞一人くんだけだ。バンド、というからには数名で構成されていることが普通で、活動が長くなればメンバーチェンジなんてものはよくある話だけれど、アシュラの場合は一時期、亞一人くんひとりになっていた期間があるという。
その状態を「解散」とせず、たった一人でバンドの看板を守り、そしてそこからまた新たなメンバーが加入して、再びバンドという形を成す、というのは本当に珍しいことだ。
例えばこれが楽器なら『exアシュラシンドローム』という形でどこかのサポートをしながら、またメンバーを探すということも有りかもしれないが、歌を重視する邦楽の場合、ボーカルがサポートメンバーというのはあまり聞かない。

わたしは現メンバーのアシュラシンドロームしか知らないのだけれど、この過去を考えるたびにすごいことだと思うのだ。

終始、亞一人くんは泣かなかった。泣いていたけれど、泣かなかった。あんなに感激屋ですぐに泣いてしまうのに、defgarageに響き渡る声に迷いはなく、会場のどの位置にいても、そこにいた全員にちゃんと想いが届いたはずだ。
歌で言葉で表情で、バンドの想いを伝えるフロントマンとしての青木亞一人、本当にかっこいいよ。

そのままいつものようにあーいぇーからの大合唱となり、3回目で亞一人くんの歌声が大きく響いて、再び曲に戻った。この時の会場の一体感がすさまじくて、今までわたしが観てきた数少ないライブの中で間違いなく一番だったと思う。

台風で1日目が中止になったと知った時、どれほど不安だっただろうか。少しのズレで、もしかするとこのステージには立てなかったかもしれない。
あと一歩が届かず、無情にも…という可能性だって十分にあった。
開催か中止かの判断に、バンドの個別事情が考慮されることはない。だからきっと、ぐずついた空に向かってただひたすら祈る事しか出来なかっただろう。一昨日の夜、わたしたちがそうだったように。
もちろんどの出演者もそれぞれに様々な事情や想いを抱えているはずだ。しかしそれはこれほどまで具体的に、且つ分かりやすく、無関係なわたしたちの前に取り出されることはないだろう。
この会場に集まったほとんどの人が、彼らがここに立つことの意味を知っている。それが後の奇跡の瞬間へとつながったのだとわたしは思う。

大澤会長は武道館のラストで亞一人くんのことを「俺が今、一番陽の当たる場所に出てほしいと思っているボーカリストです」と言った。
言葉を紡ぐのは簡単だ。大舞台のエンディングという感極まったシチュエーションならば、どれだけでも言葉にできるだろう。
だからといって例えば500キロ、自転車で根室から石狩まで5日間かけて移動できるだろうかといわれれば並大抵のことではない。
新企画は時系列的に打首さんのステージからのライジングサン(日の出)がラストシーンとなるのかもしれないが、この企画が誰のためかなんてことは言わなくてもみんな分かっている。

数日前にアップされた10獄放送局で今回の企画が発表された時は、相変わらずの無茶なことをと笑いながらも、なんでこのタイミングで、と思う部分もあった。
せっかくの晴れ舞台に万全の体調で臨んだ方が良いのではないかとそんな風にも思ったが、これはきっと2年かけたロードムービーのクライマックスだ。
わたしたちはほぼリアルタイムでそれを追いかけ、そしてこの日を迎えた。

自分だって深夜からのステージが控えているというのに、15周年の全国ツアー中で、合間にフェス引っ張りだこの忙しい身だというのに、最後の最後まで自らも動く会長の真摯さがわたしは大好きなのだ。
そうやって動くことでみんなが亞一人くんを応援している。愛されるキャラクターだったというのももちろんあるだろう。しかしそれだけではない。誰よりも会長がそう信じていたからこそ本当に10獄放送局から始まって、今日という日へとつながっていったのだ。
だからこそRSR出演が終わりではなく、全ての始まりだと位置づけたアシュラの今の動きを嬉しく思う。
台風で開催が危ぶまれたことも上乗せされて、もはや彼らはステージに立つということだけで100点だというのに、これだけのステージをやってのけたことを思えば、もう2億点くらいの規模感で得点をつけたい。


ラストはやっぱりこの曲だった。【Daring Darling】
メランコリックな月が先に来たなら、ラストはこの曲になる。
曲の前に煽りのイントロが入る最近のライブバージョン。今日はステージも高く、大きくて、最前の柵とは少し距離がある。
後から振り返ればセットリストは5曲なのだが、早く終わったという印象もなく、長かったというようなイメージもない。ステージとフロアに流れる時間が、ぴったり同じ感覚があって、同期しているみたいだった。そんなライブは初めてだ。

2番のサビで亞一人くんが素早く動いたと思ったら、そのままステージから降りてきた。本当に予測しないで観ていたのでわたしは驚いてしまった。
最前列とはいえやはりステージの上とその下には越えられない何かがある。スタートから今まで、せっかく慣れ親しんだ距離が詰められるその動きが、スローモーションのように記憶として刻まれている。そして境界線は破られ、ぐっと後ろからは圧がかかり、押しが強くなる。
柵の上に立った亞一人くんを前列の人たちと、後ろからセキュリティの人が身体を掴んで支えている。わたしは後ろからの圧に耐えながら手を伸ばす。
わたしの胸のあたりの高さにある柵に立たれてしまえば、首が痛くなるくらいに見上げても背の高い亞一人くんの表情は見えない。いつもこの曲の時に見えるのは足ばかりだ。それでも何を掴むでもなく手を伸ばす。そうして彼が観るだろう景色の一部となっていくのだ。フロアにいるたくさんの人の視線を一気に集めて歌うのはどんな気分なのだろうか。

再びステージに戻って行って、曲はもう終盤だ。ということはライブも終わってしまう。
ラストのラストに向かって音が集約していき、カズマさんが最後の力を振り絞るようにスティックを振りおろしている姿が見える。
最近いつも笑顔のナガさんも、最初は少し緊張していたが徐々にまた笑顔を振りまいてくれた。ナオキさんは緊張しているところを見せない。きっと真面目な人なんだと思うのだけど、それはそれで人柄がにじみ出ている。
ラストの決めのところで、ドラム前にいた亞一人くんがこぶしを振り上げた勢い余ってそのまま倒れこんだ。すぐに起き上がって曲のラストをきちんと締めたけれど、もしかしてもう立てないのではないかと一瞬心配した。そのくらい気迫がすごかったし、気合の乗り具合もものすごかった。ちなみに倒れこんだ瞬間に、袖にいた会長は手を叩いて笑っていた。

「ありがとうございました」と聞こえて、ああ、終わってしまった。とそう思った。ナガさんやナオキさんが楽器を下ろして、スタンドに置く。カズマさんも立ち上がりドラムセットから離れる。
メンバーが礼をして、その姿にフロアから必死に声をかける。

ありがとう、おめでとう…思い思いの声がかかり、そしてメンバーの名前も叫ばれる。フロアは興奮状態が続いていて、何をするわけでもないのだが、メンバーがはけて行った舞台袖をみんな見つめていたのではないだろうか。

演者がいなくなったステージ。薄く流れ始めるBGM。転換のためワラワラとオフィシャルTシャツを着た人たちが機材を動かし始める。

終わったのか…と思ったその時だった。
「…いと…あーいと!あーいと!」
突然沸き起こったコール。誰が最初に口に出したかは分からないが、その声は加速度的に大きくなった。みんなのやりどころのない気持ちが、声となって表に現れそのまま会場に響き渡る。
始まる前ならいざ知らず、終了してから個人の名前がコールされるなんてわたしは聞いたことがない。口々に名前を呼ぶということはあっても、アンコールのような響きは初めての経験だ。
トリでもなんでもないステージにアンコールはない。…はずだ。そんなことはスタッフがステージに現れた時点でみんな分かっている。
むしろセットリストに組み込まれているアンコールや、周りの空気を読んだスタンディングオベーションにはない、本当の想いが呼び声となって会場を包んでいた。亞一人、俺たちはお前にもっと言いたいことがあるんだ。…そんな声が聞えてくるようだった。

10獄放送局では騙されて、ドッキリを仕掛けられてひどい目に合うことが多い亞一人くんは、時折アシュラのステージでも、妙なガヤがあったりすることもある。
しかしこれは違う。ふざけて呼んでいる人など1人もいない。
みんな何かを伝えたくて。それはお礼なのかそれとも賞賛なのか、個々それぞれの想いはきっとバラバラだ。思い入れの量だって同じではないだろう。
しかし今、まさにたった今までステージを観て、何かをもっと伝えたいと思ったことは同じで、抑えられない衝動が言葉を持たないままに飛び出してきたのではないだろうか。

突然始まった『亞一人コール』は止むことなく続き、袖からそっと亞一人くんが出てきた時、もうライブは終わったというのに一際大きな歓声が上がった。マイクを置いた亞一人くんは少し手持無沙汰で上手の端に立ち、両手を合わせて。それは申し訳なさそうにするときによくやる見覚えのある動きで、マイクがないので声が聞えなかったが何かを言いながら、深く一礼した。
そのまま下手から退場していく。この状況で何ができるわけではないし、盛り上がっているからといって煽るわけにもいかない。ステージ用の照明ではなく、転換用の普通の照明に照らされて本当に『コールに応えて出てきた』、ただそれだけなのだ。
それでも再び出てきてくれたことで、わたしたちの声がバックステージまで届いていたことを分かりやすくこちらに示してくれた。

時間にしてほんの数十秒の出来事。それはまるで映画のワンシーンのようにキラキラとした光景だった。とんでもないものを観てしまった。そう思った。
もしかするとこの時の様子は、誰も正面から撮っていないかもしれない。チダさんカメラは舞台袖をメインに追いかけているはずだ。MV撮影用のカメラだってライブが終われば急いで撤収しなければならないので、きっとフロアにはいない。いつか自分の記憶を映像で確認するチャンスは訪れるだろうか。

 


思い思いの感想を口にしながら夢の名残を背中に束ねてテントをくぐると、外はすっかり夜を手に入れてた。
次に飛び込んできたのは大きな丸い月。メランコリックな月が音もなくただ静かに佇んでいる。

何だこれは、本気か?わたしのキャパはそろそろ限界だ。
一連の出来事は、フィクションなら陳腐なストーリーだと一喝されてしまうだろう。それくらいに出来過ぎている。しかしこれは確かに現実で、あのステージには夢があり、奇跡があった。


興奮を塗りつぶしたような夜。誰にも遮られることなく浮かんだ月。その光を、見つけた瞬間を、わたしはきっとずっと覚えているのだろう。